現場放浪記⑥ 穏やかな日

新木場での案件依頼が出ていない時は新たな現場の開拓。以前から気になっていた情報があったのでそれにトライしてみる。内容は「基盤取付補助 動作確認 片付けなど」とある事から何かしらの機械メンテナンスだと分かる。重い荷物等を運ぶ案件ではなく、どちらかというと繊細で地味な作業をするのだろうと予測はできるが、蓋を開けてみるまではわからない。

予定の日時に現場に向かう、そこは都内某所の大学図書館の地下書庫。ようは書庫の電動棚のメンテナンスだ、無口な感じの元請社員に率いられて自分含め3人の傭兵が地下書庫へと降りていく。厳重なセキュリティが施されたスチールドアを潜り、天井までびっしりとうず高く積み上げられた本が納められた書棚が整然と立ち並ぶ書庫へと足を踏み入れる。そこはまるで浮世を離れた世界。棚の側板のラベルには棚に収められた本のカテゴリーが記入されており視界がミニマルな情報に埋もれていく。空調の音が耳を塞ぐような感覚を覚えながら黙々と作業をこなす。作業内容は予測を超える非常にイージーなものであり、拍子抜けもいいところだったが体への負担が少なくそれだけで十分価値的だった。しかし唯一、重量的に数百キロありそうな棚がレール上を斜行しているのを調整するときは書棚と押し相撲になりこれがなかなかキツい。

午前中の作業を卒なくこなし昼を大学の食堂で済ます。スギモトとサワダが今日の同僚でありどちらも初対面だが、二人とも人柄がよく控えめで話がしやすい。仕事も丁寧にこなし客対応にも問題なく優秀な人材だ。派遣仕事でたびたびあることだが、なぜこんな人材が派遣仕事なぞしているのだろうと思うことが度々ある。われわれ就職氷河期世代の中には止むに已まれず派遣に留まり生きている者も少なくは無い、強固な新卒神話を守り続ける日本社会において我々は予め失われた世代と言って差し支えはないだろう。むしろ20年近く昔、2000年代初頭あの時代の雰囲気としてはフリーターは新しい生活スタイルであり派遣社員は人材の流動性をもって新時代を築いていくのだくらいのお題目が吹聴されていた。しかし実際の世の中はバブル崩壊の余波が顕在化しまともな就職先もなく、新卒者は希望の職に就くこともできず皆その錦の御旗を手放しそれぞれの道をいった。

ある者は既存のシステムにしがみつき、ある者は勃興し始めたIT関連の技術を独学で身に付け、ある者は気楽なその日暮しで糊口をぬぐった。その成れの果てがいまの派遣現場のボリューム層を占める40代の傭兵たちだ。みな基本的なスキルは高いが社会には何の期待もしていない、大都市圏であれば仕事が尽きることはまず無いので生きていけるし親と同居している独身者も少なくない。自分のように妻帯し子供もいる傭兵も当然いるがそういう輩は大抵何かしら手に職を持っている技能傭兵ともいえる層だ。派遣一本で食っている傭兵の中にはそれこそ浮世離れした流れ者も大勢いる。それらの傭兵たちはみな一様にその目の奥に沈む何かを宿している。それは怒りなのだろうか、諦めなのだろうか、それともいつかと望む希望だろうか。

スギモトとサワダはそういった渇いた目をした傭兵ではなく、極穏やかに過ごしている豊かさを感じさせた。なんだかんだといってこれが東京という街のなせる業なのだろうと感じる。流れ者の傭兵が己の身一つをいかようにもできる可能性がある。若さがあればそこを足がかりにどんな事でもできる気がしてくる。人口というボーナスが垂れ流す恩寵だ。二人はそんな東京の力を上手く取り込み生きている、煩わしい社会と適切に距離を置きその代わりある程度のステイタスを手放して今を生きている。

俺たち三人は大学図書館の清潔で近代的なエントランスに置いてあるソファで茶を飲みながら現場に関する情報交換をした。普段は殺伐として埃だらけで薄暗い建設途中の工事現場に座り込んで休憩したりするのだが、たまにはこういうのも悪くは無い。スギモトは自分の仕事を抱えつつ夜勤もこなしているという、何か理由があるのだろうが詳しくは語ろうとしないのでそこは深追いはしない。サワダは細く引き締まった体をしており、上着がアンダーアーマーだったのでボディビルでもやっているのかと尋ねるとそのとおりだという。最近は山奥の崖などを測量する現場が楽しいのだという、山登りと仕事が両立してありがたいと。今日の現場も肉体的には付加が少なく貴重な書籍を目にすることができるから気分転換にもなるといって白い歯を見せて笑った。

「ところでタケウチさんはどんな現場いってます?」
「最近は新木場の倉庫いってますね」
「ああ、ひょっとして」

二人とも例の倉庫の事を知っていた。どうやら界隈ではちょっと有名なようだ。こういう場合それは悪名の場合が多いと相場は決まっている。

「あの現場はあれですね、好き嫌い分かれるよね」
「ああ、あの人が癌でしょ」
「そうなんだよね、現場としてはそれほどではないけどねぇ」

二人は同意見を述べて当たり障りない所見を言い合っている。予想通りあの横柄な社員が原因で人が定着しないようだ。あの程度はまだましなほうだ、しかし自由で緩い空気を重んじる傭兵たちにとってあの負荷は我慢ならんのだろう。作業負荷も時によっては変動するようだし、外縁からの観測によりあの現場の状況はこれでほぼ把握できたと言ってよい。その後は二人からあちこちの現場の情報を得ることができ次への指針が定まった。静かな書庫に篭り情報を整理しつつ現場は続いていく。