現場放浪記⑦ 氷河の先に

穏やかな現場をこなした後、しかしそんなオイシイ案件がゴロゴロと転がっているわけもなく案件検索にはどうもキナ臭いモノしか上がってこない。とはいえ贅沢ばかりも言ってられないのでその中でも比較的労働強度が低そうなものを選ぶ。要件には「解体現場 ガラ出し、壁紙撤去」とあるが、これはちょっとした賭けになるなと思いながらも俺はエントリーボタンを押した。

半蔵門のホテル改装の現場である。古いベッドを解体し壁紙も剥がして撤去する。ホテルは営業中であり1フロアごとに作業を進めていくようだ。依頼主の50絡みの監督がと訳知り顔したゴミ屋の番頭が現場を仕切る。ベッドの解体と作り付けの家具は解体屋が壊し、俺たちは小カッターで壁紙に切れ目を入れてそこから壁紙を剥がしにかかった。作業自体はそれほど難しくはないが、ベッドの解体によってフロアには埃が立ちこめており、また解体屋が雇っている中国人達が猛烈にニンニク臭くて阿鼻叫喚。辛うじてマスクで呼吸を保ちつつ仕事を続ける。

人員は4人態勢の小隊編成。60そこそこの職長が緩く仕切り、どうやら顔見知りのような二人が世間話しながら作業を進める。俺は一人で手のついていない部屋に入り壁紙を剥いでいた。10時の休憩が終わり次の部屋に取り掛かろうとするとトバミという傭兵が話しかけてきた。「いっしょにやりますか、その方が効率いいし」「はい、クロカワさんのほうはいいんですか?」「ああ、あいつはいいよほっといて」そういってトバミは俺と一緒に作業を始めた。

昼になりオフィス街をぶらつくのも面倒なのでコンビニで飯を軽く済ませ現場に戻るとトバミが先にたまり場で一息ついていた。

「お疲れ様です、昼は済んだんですか?」
「ええもう済みました、ところでトバミさんってひょっとして三重県の人ですか?」

トバミの口調には伊勢地方独特の訛りが見て取れた。俺の両親はあちらの出身なのでそれはすぐに聞き取れる。

「ええ!?なんで分かりました?」
「やっぱりですか」

お互いの出自を話して打ち解けたのか、トバミは急に饒舌になりあれこれと話し始めた。年は自分と変わらないくらいで、若いころからずっとこの業界で傭兵をやってきたのだという。自分はなんだかんだとあちこちで正社員をしてきたので、正直なところそういう生き方もあったんだなと改めて驚きとともに話を聞いていた。とはいえ同じ氷河期世代である。荒れ狂う不況の嵐に翻弄されながら世間へと放り出された俺たちはまた、それぞれに違う道を歩き続けてこの埃にまみれスケルトンになったホテルの一室で邂逅した。自分は人見知りであまり現場では話したりしないんだというトバミはしかし、もう一人の傭兵であるクロカワについても話し始めた。

「あいつはね、サボりのクロっていって有名なんですよ」
「なんですそりゃ?」
「なんですかね、とにかくサボるんですよ、突然動かなくなったり」
「はぁ、そうなんですか」
「でもね、そのサボりのおかげで奇跡が起きた事もあるんですよ」

話はこうである。とにかくあちこちの現場でサボりの常習犯として名を馳せるクロカワとトバミは昨年末に同じ現場に入った。クロはとにかく変わった男で、まず風呂に入らない、入らないから当然臭い、あまりの臭さに仕事を出禁になるか風呂に入るかの二択を迫られしぶしぶ風呂に入るようになったとか、仕事が終わりの時間になるとなぜか客の前で手を組んでじっとしていたりとか、なぜか妙なエセ大阪弁を使っていたりと何かと突っ込みどころの絶えない男だ。そんなクロと一緒に入ったそこはセキュリティが厳しいところでカードキーを持って移動せねばならないような現場だったそうだ。そこで作業を終えて最後の点検をトバミが行っているときうっかりとカードキーを忘れしまい現場と外に出るための通路の間に閉じ込められてしまった。もうすでに作業は終わっているので誰かがドアを開けてくれるはずもなく、完全に孤立してしまったのだった。スマホも外のカバンに置いてきてしまい万事休すかと思ったその時、現場の奥からのそっと髭面のクロが出てきたのである。ようは現場のどこかでサボってる間に作業が終わってしまい、のそりと出てきたところでトバミと鉢合わせたのだ。この時ばかりはクロの事が神の遣いに思えた、奇しくもそれはクリスマスイブの深夜であったそうだ。

「とにかくいい加減で風呂にも入らないから臭いしとんでもないんですよ」
「そりゃきついっすね」
「でもなんか憎めないんですよね」

現場を渡り歩いているといろんな傭兵に出会う。それぞれに個性的であり凄腕のエースもいれば正体不明のベテランもいる。俺たちは社会の底辺をうろつきまわって気楽なその日暮らしをしているが、かつて正社員であった頃の自分を思い返すときふとクロちゃんやトバミのような生き方とどちらが幸福だったのだろうと度々考えてしまう。そこに明確な答えはなく、それぞれの事実が積み重なっているに過ぎないことは分かってはいるが、少なくとも今自分は経済的な豊かさは失ってしまったが幸福ではあるなと思えるのだ。利益を得るために人間の心をドブに突っ込んでその事に気がつかない経営者を何人も見てきた、その下で心も体も壊して倒れていく者、黙って消えていく者。自分はそこから離れつつも人としての繋がりを失わずやってきた。人間が生きようともがき足掻く時、可能性は常に一つではないのだと今棲んでいるこの世界の傭兵たちを見ていると改めて思わされる。

現場を終えて「じゃあまたどこかで!」そういって俺はトバミと別れて半蔵門線に向かう。トバミとクロちゃんは二人してどこかへ歩いていった。就業人口の減少が顕著になり、人材不足が叫ばれているこの時代において、俺たち傭兵はふわふわと流されるまま生きていく。あの凍てつくような氷河期はもう今は昔、それぞれに生き残る術を身に着け、時に何かを捨てて俺たちはまた明日に向かって歩き出すのだった。