うーむ。ボチボチと自分の周囲にもコロナ感染者が出てきているなぁ。
顔こそ知らないし誰かも分からないが子供らの学校からその手の話が聞こえてくる。親がPCR引っかかって子供諸共隔離とか。子供は大丈夫だったようだが、
いま自分たちがそういう状態になったら子供らが行き場がないし、瞬間に生活は破綻する。インフルエンザと変わらんじゃないかとか第二波なんか来てないとか、そうあってほしい話ではあるんだが実際はそう言い切れない。
ノーガード戦法で挑んだスウェーデンは集団免疫獲得に失敗し膨大な感染者と死亡者を出した。6月時点で厚労省が東京で行った8000人近い検体に対する抗体
検査は抗体確認されたのが0.1%程度だったようだ。もっとも抗体検査の精度に問題もあるようだからこれもなんとも言えない。
そして国は何があってもコロナで集団免疫だ!みんな働こう!とは言わないだろう。そうなって死者が出た回復した人にも後遺症が残ったとなれば集団訴訟が
起こるのは目に見えている。死者数考えればインフルエンザと変わらないのは
そうなんだろうし、経済が死ねばコロナどころの話ではなくなるのは火を見る
より明らかだが、国は最後の最後までそれを認めることはせんだろうなぁ。
だってどうしようもない事に責任取れなんて言われても無理だからな、しかし
その無理を通してくる奴らがいる以上身動きできない。我々の社会が持つ特性に我々自身が殺されるんだわな。
そういった状況を打破していくためには国民個人と社会の決断が求められるのだろう。つまりは働くなら働く、そして働き方を変えていく決断を国民一人一人が決めないといけないという事。感染症予防するための新しい習慣や環境を整え
つつ、来るべき困難や死を受け入れて暮らす決断を個人が責任もってやる世界。
がっつりテレワークにシフトしてこれを機に人口の地方還流が起きてもいいだろうし、それに合わせて地方もコンパクトシティ化を加速させて新しい事業を励起させるのもありちゃうやろか。
インドなんかはまた人が死にやすい病気が一個増えたなくらいのノリだとかいうけども、それぐらいのイージーさがないと乗り切れないだろう。
「公」が他人事になっているこの国はそういう岐路に立たされている。