グランカスタマ・プロローグ

2022年は散々な年だった。

オリンピック景気が霞始めた2019年辺りからケチがつき始めた。案件は減少傾向にあったがそれが一気に加速した感があり、ぐずぐずと金にならない仕事に足を引っ張られ徐々にすり減った。そこにコロナがやって来たのだ。しばらくは地震保険や助成金給付金で凌いでいたが2021年の後半にはそれも限界に達し、潜り込んでいたビルの外壁洗浄の現場にも怪我と狭い足場に186cm102kgの巨体が馴染まず一年で撤退。その間にベッタリ入り込んでいたサイン関連や細々とした修繕案件をくれていた顧客が全滅、何せほとんどが飲食店だったからモロに煽りを食らった。他業種の贔屓にしてくれていた社長もコロナで亡くなり、まさに丸裸になって新たな食い扶持を求めてコロナに疲弊する世間を彷徨った。

コンビニ、コールセンター、営業事務、細々と入る本業を粉しながら合間に丁度良い仕事を探すがそんな都合の良い仕事は無い。アップライジングを諦めて平日フルタイムの勤めにでるか、しかしそもそもその仕事が無い。稼げなくなった40超えた自営業者をほいほい雇うようなところは無かったそんな2022年初頭。

外装の洗浄は自分には向かなかったが仕事自体は嫌いではなかった。ネットで求人を漁っていた時にふと目に止まった内装クリーニングの募集。何げ無く応募してみたら案外近所で都合よくとにかく話を聞きに行った。

社長は何故か流暢な関西弁で喋る関東生まれの男で、いわゆる勢いがある系の経営者だ。そして面接でクリーニングの話をする。しかし内装と外装は全く畑が違うからお前の経験は役に立たないとバッサリ。まあ仕方ないかと思いきや経歴を話していくにしたがいどうやら過去に近しい業界にいた事が分かり、早い話事業拡張を考えていた社長から提案がもたらされた。

客は連れてくるから実務をやれ、事業が軌道に乗ったら子会社化も視野に。案件が動くようになったら社員にする、それまではこちらから別の仕事もだそう。

美味い話だ。だが正直言えば目に見える地雷。
しかし、チャンスの女神には前髪しかない。

俺は賭けた。

そして、負けた。

詳細は割愛する。
負けたのだ。

半年かけた仕込みは全て水泡に帰し、体力は尽き果てた。車を売り、カメラを売り、何もかも手放しながらついにアップライジングをから一次撤退する腹を括り新しい職を得た。

しかし、時すでに遅し。
カミさんは俺を見捨てた。金の切れ目が縁の切れ目。力無き者の末路である。
14年の歳月に積み重なった棘は一気に全てを引き裂いた。決して相性のいい夫婦ではなかった、多分今まで生きてきて一番喧嘩した相手だった。それでも互いに認め合い支え合ってやってきていたが、そう思っていたのは俺だけだったようだ。向こうにも言い分はあるしこっちにもあるが、道は分かたれ言葉はすれ違うのみ。

夫婦とはもっとも近い他人である。

ここから先は地獄しかない。互いに潰し合い奪い合う餓鬼畜生の争いが待っている。最初は俺の一人暮らしに必要な準備ができるまでは家庭内別居も構わないと言っていたが三日も経たずにすぐに出ていけと変遷する。何かおかしい、言いようのない違和感を感じていたがもはやそれすらも意味を持たないくらいにはすべて終わっていた。そんな中で唯一の希望があったのはようやく仕事が見つかった事。それは新宿でのコールセンター業務。年末には給料が出る、そのタイミングで俺は家を出る事を決めた。これ以上子供達に醜く奪い合い潰し合う親の姿は見せられない、ただそれだけの為に。

2022/12/30にカミさんと子供達は新潟の実家に帰省して行った。俺は1人仕事部屋を掃除してバックパックに寝袋やキャンプ道具にポータブル電源を詰める。万が一野宿でもすることになればこれが命綱になるだろう。玄関に俺の荷物が纏められている、早く出て行けと言わんばかりにゴミと一緒に並んでいた。住み慣れた我が家で1人年を越し、明けて2023/01/02になり、子供達に手紙を残して、
誰一人見送る者も無く俺は愛しい我が家を後にした。