今ではもうよく思い出せない。
浪人している仲間と日々日々過ごす図書館で見た写真集。
アメリカ、フランス、イタリア、そこではないどこか。
わけの分からない理由で作り出されたこれらが好きでしょうがない、もしくは
まあこんなもんじゃないかという情念の塊がべったりとした印刷に刷り上げられた数々。
小説や漫画だけではなくて、大阪の地方都市に潜んでいる選者たちが税金を勝ち取って戦い掴みだした結果のアーカイブに浴す喜び。声なき声の主張に遊びながら大阪芸大という新しい場所を想った。
そこには何があるのだろう?彼女はそこが富田林にあるといった。
富田林。俺の高校の同級生の地元。太子とかいったか?もう一人いたな、たしか族の頭やってるとかいった。言葉の訛りも違っていた。「~でや」という語尾はなかなか衝撃的だった。大阪でありながら東北のような語尾。俺が通った90年代初期当時の大阪工大高建築科は大阪の南の奴らが多かった気がする。富田林、岸和田、松原。そう松原に高校の同級生がいたのを思い出した。あいつには貸しがある。
尾崎は剣道部で学級委員長だった。俺のクラスはとにかく問題児が多く、不登校児も二人ほどいた。俺は生来の人好きで誰彼構わず親しくなるのが時にいい方向にも悪い方向にも転がるタイプで、良い方に転がれば人付き合いの良いグッドマンで、悪い方に転ばればそれは八方美人の嫌な奴。それで苦労することもあれ、良い事もまた同じだけ。俺のクラスの担任は見た目とは裏腹の熱血で、不登校の奴らをなんとか立ち直させるために尾崎に指令を出した。教師が無理強いするのではなく仲間が働きかける事でそこに可能性を見出そうとした。尾崎はオタクで剣道部でもののふで器用な奴だった。俺はどこにも属さない、周囲から見ると変わり者だったらしい(後にそうだったと聞く)。
一人目。
ある日、尾崎が俺のところにきて言った。
「なあ、ちょっとお願いがあるんやけど」
「おぉ、なんや?」
「うん、こんどの土曜にもりさんところに行くんやけど一緒にいかん?」
「森村んところ?なんで?」
「吉森先生から言われたんや、声かけてきてくれって、お前仲いいやん」
「おお。仲いいというか話はするよ」
「頼むわ、俺はもりさん分からんから頼むわ」
「はぁ?分からんのにいくんかよ?何したいん?」
「とにかく行くんや、お前が一緒に行ってくれたらそれでたぶんいける」
「なにそれ?別に行くのはいいけど、なにがしたいん?」
「うん、とにかく会いたい、それだけや」
今思えば教育とはここにあるんだろう。
不登校の高校生を救おうという教員が選んだ方法は、
剣道家の端くれとはぐれ者の二人を送り込む事だった。
そして俺たちは四条畷のはずれに籠った同級生に会うためにちょっとした旅に出た。