新木場の現場を二度ほどこなしそれなりに業務の流れを掴みつつ、俺はその他の現場も物色し始めた。
一本だけに集中して居座るよりも、そこからの発注が薄くなった場合のことを考えて今はまだ幅広く案件を吟味していくべき段階だ。また俺たち傭兵にとって重要なスキルの一つに案件情報の文上から実際の現場内容を類推するというメソッドがある。例えば「建具搬入 間配り、清掃、他 1F EVあり」このテキストからどんな情報が読み取れるかというもの。現場の建物は某企業の博物館であり、そこから出ている発注ということを考えた時にイメージされる現場内容は何か。案件情報には他に「搬入荷揚、補助等」ともある。これは下手するとガチの荷揚げ屋が請負う非常にキツい石膏ボードなどの搬入がある可能性も考えられる。しかしEVの使用が可能であればそこはまだ憂慮の範囲内ともいえる。建具の搬入間配りということはボードは基本的には無いとも判断できる、しかし顧客がその事実を隠しているパターンもあり油断はできない。戦線復帰間もない俺は案件情報から吸い上げる以外の情報源が無い。これが場数を踏んでいくと同じ傭兵仲間から有益な情報を得ることができるようになってくるがそこまでのネットワークを構築するのはまだ先のことになる。
俺は案件情報から読み取る自分の勘と実際の現場とのギャップがどれくらいあるのかを確かめるべく江戸川橋の現場にエントリーしてみた。朝から冷たい雨が降りしきる一月の半ば。いつもは車で通り過ぎる大曲手前の高架下を急ぎ足で歩いていく人々と共に俺も白い息を吐きながら歩く。現場に向かう途中に電車が遅れてしまい到着予定時間を15分をほど過ぎてしまった。事前に職長に連絡を入れておいたので現場の通用口で落ち合う。「遅れて申し訳ない、よろしくお願いします」「ああ、しょうがないね、じゃいきます」そっけもなく髭面の職長が俺を連れて警備室をスルーしてビルの中に入っていく。「客には事情は話してあるから会社には15分遅れで申告しといて」と事務的に要件を伝えて職長はため息をついた。「今日の現場はどんな感じですか?」「うん、あれだよ、博物館の展示ブースの解体やってるからそのガラ出しやら仮置き整理が中心だね、あとはパーティションの移動もあるかもな。キツいところは昨日までで終わってるから今日はのんびりだよ。あと現場は暖房きいてるから薄着のほうがいい」無愛想な顔の割りにしっかりと情報はくれる。ニッカポッカを履きこなしているところ見るにそれなりに経験を積んだ職長らしい。
職長の言う通り雨が降り寒さが染みる外とは打って変わって中は芽が出るような暖かさだ。現場はすでに動き出しており、高い天井の館内に設えられている展示ブースを解体屋の職人たちが壊しにかかっている。展示ブースとはいえ普通の家屋と同じとは言わないまでもそこそこの頑丈さを持っており、それを解体するとなるとそれなりの大仕事となる。大振りのバールを持った職人が見る見る間に壁を打ち壊し窓枠を剥ぎ取り梁を落としていく。我々傭兵の仕事といえばそうした職人たちが動き回る際の作業補助である。ローリングタワーと呼ばれる可動足場を支えたり移動させたり、職人の指示や作業の進行に合わせて出すぎた真似をしないようにしかし見学している「お客さん」にもならぬよう周囲に気を配る。
壁を粗方解体し終わり、職人たちが躯体を支える大梁を落しにかかる。展示ブースにはもったいないくらいの立派な梁だ。重量もそれなりにあるので職人達の間にも緊張が走る。下手に壊せば即事故に繋がるからだ。「おい!こいつ落すから離れてろ!怪我すんぞ!!」一番年老いた職人衆の親方が下から指示を飛ばしながら周囲を怒鳴りつける。天井上の若い職人が梁にセイバーソーを入れていく、ある程度切れ目を入れたら後は上から蹴り落す。しかしなかなか頑丈な梁が落ちてくれない。「何やってんだ!ちょっと待ってろ」と気の短い親方が軽い身のこなしで天井に登っていく。そしてセイバーソーとバールを駆使してあっという間に梁を落した。現場を管理している制服組は梁が床に叩きつけられる轟音を聞いて飛び上がっていた。親方もちょっとやり過ぎたという感じで首をすくめておどけている。
午前中にはひとしきり解体は終わり、昼休みにあてがわれた休憩所で飯を食う。
「ああ、キツい。ちょっと寝るわ」そういって職長は飯もそこそこに突っ伏して眠ってしまった。作業中も妙な汗をかいていたし、他の傭兵との会話を聞くかぎりどうやら糖尿持ちらしい。しかし、俺の興味はそんなところには無く、今日初めて会ったはずの職長の顔と声になぜか見覚えがある気がするのだ。どこで、いつ会ったのだろうか?俺は飯を食いながら自分の記憶の底をさらってみたがどうも思い出せない。
午後からは解体した廃材を搬出するまでの間に仮置きして整理する作業を行う。解体屋はすでに引き上げたようで後は職長の指示の元に作業を黙々と進める。午前中は体調不良で調子が出なかった職長も昼の午睡で少し回復したようだ。作業を進めながら俺はこの職長が誰なのかを考えていたのだが、3時の休憩に入っている時にその答えが出た。職長と馴染みらしい年老いた傭兵との会話が俺の記憶を呼び覚ました。
「ササモトさん体調はどうかね?」「いやぁダメだね、血糖値もしっちゃかめっちゃかだしなんともならんよ」「そうかね、それじゃ好きなコンサートもいけないねぇ」「いやいやイワタさんコンサートじゃなくてフェスだよ」
フェス。この言葉と職長の顔と声が結びつき俺の記憶を呼び覚ました。もう10年以上も前、俺はとある風俗情報を扱うポータルサイトで集金係とグラビア撮影の仕切り役を兼ねた営業マンをしていた。その時に俺が受け持っていた横浜を拠点とする大手グループのフロントマンの名前が職長と同じササモトだった。リーマンショック時にどこもここも売り上げが落ち、次々と広告を取り下げていく中でササモトさんからも打ち切りの連絡があった。当時の上司も未曾有の経済危機にあっては致し方なしと俺の肩を叩き、状況が落ち着いたら再度アタックするしかないと思いを巡らせていた。その翌日にササモトさんから電話があった。「タケウチさん、うちの掲載店舗の件だけど、なんとか自分が直接管轄してる横浜分は掲載継続するからね。どういう事か分かるよね?引き続きよろしく頼むよ」と。あのリーマンショックの荒波の中で失いかけた売り上げが帰ってきた。驚きと今まで積み上げたササモトさんとの現場を振り返り涙が出るほど嬉しかった思い出。ササモトさんは見た目はケンドーコバヤシ似でフェスが好きだった。ちょっとやそっとでは長期の休みなぞ取ることはできない風俗業界にあってその我を押し通して毎年フジロックに行っていることを誇りにしていると語っていた。間違いない、この職長はあのササモトさんだ。しかし、あの首都圏20店舗以上の風俗店の広告全てを取り仕切り、仕事に趣味に誇りを持って熱く取り組んでいた恩人の面影は今は無く。肥え太り、糖尿を患いながら傭兵家業で糊口をぬぐうその姿に俺は複雑な想いを抱いた。リーマンショックを期に起こった不況の煽りを受けて俺は会社を依願退職し風俗業界から手を引いた。結婚したばかりで次のステップを目指していた時期でもあったがせっかくいただいたチャンスを満足に活かすことができず恩に報いることができなかったことが何より心残りだった。懐かしさより何よりあの時のお礼が言いたい、しかし、今の姿を見るにつけそれは憚られる。
作業は予定時間よりも一時間ほど早く終わった。身支度を整え俺たちは現場の外に出て声を掛け合う、「お疲れ様、縁があればまたどこかで」と。「またどこかで」これが俺たち流れ者が一日を共に過ごした仲間に送る別れ際の言葉。降り止まぬ雨の中に消えていくササモトさんの背中を見送りながら俺はこみ上げる言葉を飲み込んで家路についた。
その日の夜。飯を食い終えてソファで案件情報を物色している時に見慣れない電話番号から電話がかかってきた。
「もしもし、お電話いただいていたようなんですがどなたですか?」
ササモトさんだ。どうやら今日の遅刻連絡の着信履歴を見て折り返してきたようだ。何度か電話を掛けていたので不在着信の赤字を見たのだろう。
「あ、どうもタケウチです。今日はありがとうございました」
「ああ、そうか、どうもお疲れ様でした」
「たぶん今朝の着暦みたんですね」
「そうなんですよ申し訳ない、ではまたどこかで」
「ちょっと待ってください、つかぬ事をお伺いしたいんですが」
「ん?なにか?」
「ササモトさん、10年ほど前に横浜で働いてませんでしたか?」
「え!?それはいったいどういう?」
「いえ、実は自分は昔風俗のポータルサイトの営業マンやってまして、その時に
お世話になった担当者の方がササモトさんによく似ていたもので」
「ああ、そうなんですか・・・たまに言われるんですよね、誰かに似てるとか
どうとか。でもそれは自分ではないです」
「あ、そうなんですか、失礼しました」
「いえ、いいんですよ、なんかね、あちこちにいるみたいなんでね」
「そうですか、俺はただ一言、リーマンショックの時に助けられた事を感謝して ると伝えたかったんですよその人に、すみません変なこといって」
「はっはっはっは、そうですか気にしないで、じゃあまたどこかで」
俺は電話を切ってベランダに出でタバコに火をつけた。
雨はもう止んでいる。
夜空には雲間に月が顔をのぞかせていた。