それは突然やって来た。
いや、来ることは分かってはいたが、ついにやって来たというべきか。
ある日を境に案件数が目に見えて減り始め、気が付けばサイトは停止状態となってしまった。新型コロナの猛威が顕在化したのだ。
3月まではまだ順調な受注をこなしていたが、すでに現場では先々への不安が
傭兵たちの肩に積もり始めていた。A契約のランカー達は本営からの情報で現状を把握しているらしく、傭兵ネットワーク上には様々な噂話が流れていた。
「4月からは相当厳しいらしい」
いずれにせよ年度末を越えたところが見極めとなる事は皆感じていた。
そしてそれはあっさりと現実のものとなる。まさに潮が引いたように案件が消え去り、我々掛け持ちのC契約にはほとんど案件が流れてこなくなってしまった。
実際に何が起こっていたかといえば、新型コロナ対策のために密状態が発生するイベント事業が軒並み中止となり、そこが抱えていた人材が行き場を失った。その余剰人員が健装案件の現場へと流れ込み、また少しでも条件が良い現場を求めて他の傭兵管理会社からこちらへコンバートしてくる者たちが現れ始めた。
このような状況は初めてではない、2009年のリーマンショックの時を思い出す。
派遣業に主軸を置いている人員の雇用がまずは確保され、それ以外には僅かなおこぼれしか回ってはこない。そして今回はまさに先の見えない、原因さえ分からない状況だ。リーマンショックの時でさえ何とか社会が回りはじめるのに一年ほどかかった。今回はどれほどの期間が必要になるのか見当もつかない。
俺はあの頃を思い出し、しかし昔とは違う自分の力を試す時という気概が生まれ、不思議とネガティブな気持ちは湧いてこなかった。とはいえ仕事は無いのである。3月まではマスクが無いね困ったねと言っていた呑気さが、4月には全く別物の恐怖となって目の前を覆っている。にわかに現実とは思われないほどの変わりゆく日常と次々更新される見えざる「違和感」と向き合う。
様々な公共の補助や住宅ローンなどの一時停止、生き抜くために打てる手をその場凌ぎと分かりつつも打っていき、未来への借りを造りながら今を食いつぶしていく。まさにタコが自分の足を食いながら腹を満たすがごとく、いつしか痛みはマヒしていき、ただ流れる情報を捌きながら半年後、一年後を占う。
オリンピックの中止が決まった頃、都内某所の造船所跡に現場を得た。久しぶりだった。要件はオリンピック開催時に警備任務にあたる警察官達の詰め所のベット設営。日本全国から派遣されてくる警察官達の寝床だ。しかし、オリンピックは中止になってしまったので、そこをそのままコロナ患者を収容する仮説の隔離所にするのだという。無数に並ぶプレハブの間を解体したベッドを運ぶ。20名を越える招集がかかった大型現場だ。みな久しぶりの現場に勢い込んでおり、またオリンピック関連の案件を取っていたA契約の傭兵たちの間であれこれ情報交換が行われていた。
俺はリーマンショック前に会社を経営していたという親父とバディになってベッドを組み立てつつ、あれこれと四方山話に花を咲かせた。親父は俺より10歳ほど年上で人も抱えてやって来た経験がある分、今の状況にも幾分余裕があるように見えた。
「こんな事になるなんて本当に世の中分からないねぇ」
「ほんとですよ、リーマンの時より酷くなるんじゃないですかねぇ」
「そうだね、出口が見えないよ」
「そういえば話は変わるけど、今日一緒のホンダさんて知ってますか?」
「ああ、あのボランティアで傭兵やってるとか言ってる」
「そう、あれ何のことだか知ってます?」
「いや詳しくは知らないけど」
「なんでもね、あの人は大学の非常勤講師なんだそうです、それであの人遣ってる講座の学生が車で事故を起こしたんだそうで」
「ほう、そりゃ大変だね」
「それでその学生は母子家庭でもう学校も辞めないといけなくなってしまったそうなんですよ」
「ますます逃げ場無しだね」
「でね、彼の同級生とホンダさんが可哀そうだからとお金を彼にあげてるんだそうです」
「ええ!じゃあ今日の日当も・・・」
「そういう事らしいです、別にホンダさんは資産家でもなんでもないそうなんですが、そのやり方もどうかというところはありますが、なんとも奇特な御仁ですよね」
ホンダは見るからに人が好さそうで、誰に対しても丁寧に接し、仕事に対しては誠実に前向きにまじめに取り組む傭兵だった。その立ち居振る舞いは逆に我々の中では異質に思われたが、その現場に出る理由もまた他とは大きく違っていた。
「でもあれだね、こんなご時世にそんな人もいるもんだね」
「ほんとですね、なんだかこっちが恥ずかしくなってくるような」
「いや、人はそれぞれだからね、恥じる事はないけど力はもらえる」
「不思議とそうなんですよ、でもあんな人がこんな現場にいるってのがまた世の中ですねぇ」
「ままならないもんさ、誰もそうなろうなんて思ってもいない人生だよ」
俺たちは作業を終えてプレハブ小屋から解放された、初夏の海風が吹き抜けていく。俺は現場上がりの心地よい疲労感を味わいながら、朽ち果てた造船ドックの海へと続く錆びたレールの上に立って、東京湾の空に吸い込まれていくウミネコの声に耳を傾けていた。