正月、1月2日の江古田は閑散としていて。
あいつの好物はケンタッキーだったがやってない。
3軒回ったが全部閉まってた。
悔しいがかろうじて開いていたミスドでしこたまドーナツ買い込んで、
自分が呑む酒買い込んでまたジョグにまたがって目白通りを走る。
身を切るような寒さが己の先行きを暗示する。
落合南長崎を過ぎる辺りでピークになりつつ、
しかし、もう心休まる場所に行かねばもたない自分の情けさなを感じながら、
今の自分を問答無用に受け入れてくれる友の有難さよ。
317の交差点を右折して中井へ。
入り組んだ小道に入ったらすぐにそこにあいつらがいる。
俺たちの家族が幼い頃過ごした場所落合南長崎。
共にあの嵐のような優しい欠けがいのない時を過ごしたママ友が今も子供たちを守りながら過ごす家が中井にあった。
俺は子供たちのオムツを9割がた替えて、保育園の送り迎えはすべてやった。これが偉いという事ではない、あいつはそういう事が苦手だった、だから俺がやった。それだけの事。女は生まれながらに母ではないし、男は生まれながれに父ではない。それだけの事だ。
そんな暮らしの中で出会ったいくつかの家族。それは今も戦友だ。そんな戦友の家に俺は羽を休めに泣き言を言った。
懐かしい、友の家。
何もかも失い、失う事を受け入れられず、情けない自分を映す鏡。
そんな場所が、俺がこれから生きていく世界の入口にあった。
中井辺りで北に潜り込んで、いつものミラベル辺りから潜り込む。
あいつのところは子供が多く、あいつらに久々に会うのも楽しみだ。
そう、愛しい同じ道を歩んだ家族よ。