ハッピーハードコア④

俺は朝からトキメイていた。

何かわからない、言いようもない高揚。

直感で何かが始まるようなそんな予感。
それを抱えて、尾崎との待ち合わせに久しぶりに母校を訪ねた。

あいつは俺たちが通っていた高校の隣にある大学に通い、
相変わらず剣道部に入って汗を流している。

電話して大阪芸大へのナビを頼むと奴は二つ返事で快諾した。
こういうところは相変わらずのレスポンス。

そして高校卒業以来久しぶりに母校近くにやって来た。
バイトしてたエロい熟女店長がやってた喫茶店や、
糞美味い米屋のから揚げや、
千林に似つかわしくないゴージャスな銭湯や、
今も昔も変わらない淀川、河川敷を眺めてから待ち合わせに向かう。

そういえばこんな話があった。

サッカー部の顧問は俺たちの保健体育の担当だったのだが、
爺さんだがやたらガタイがよく、しかも微妙にプルプルしているいろいろ限界な感じの教員だった。
授業では、「梅毒に気をつけろ、やばいぞ」「若い頃アメリカに行ってマリファナ吸った、道端に棒状に乾燥させて売ってた」「お前ら避妊しろ、性病にも気をつけろ」といった感じで実学に基づいた警句を発していた。まさに教導とはこのことを言うのだろう。

そんなサッカー部の顧問は柔道の達人で、アメリカに行ったのは柔道の試合で人を殺してほとぼり冷めるまで逃げるためだったとか言われていた。その逃げた先で路上で売られている棒状の乾燥マリファナを買った話を生徒に聞かせる尊い教導であらせられるわけだが、そんなサッカー部顧問はいろいろな伝説を残している。

例えば、淀川河川敷にあった我が母校はそれこそ河川敷がサッカー部やラグビー、野球部のグラウンドになっており、そこに砂ぼこりが舞い上がらないように川の水を消防ホースで組み上げてばらまく。そのホースが傷んであちこちから水が漏れてピューピュー噴水になるわけだ。サッカー部奴らがまことしやかに語る柔道家のサッカー部顧問の伝説。真夏の暑い日、サッカー部の奴らは走り疲れ乾ききって河川敷に揺らめく陽炎を眺めながら早く次の休憩が来ないかと待ちわびていた。汗と陽炎の向こうに部員たちを見る事もなく後ろ手でホースを眺めるサッカー部顧問の爺さん。そしておもむろに爺さんはホースをガッと掴み噴水にむしゃぶりつき淀川の水をグビグビと飲みだした。ひとしきり啜って満足したのか口を拭ってニヤリと笑い「こんな美味いのになんで飲まんのか」と言ったそうな。

この手の与太話が山ほどあるがまあそんな事を淀川の揺蕩う流れを見ながら想い出したあとに俺は待ち合わせ場所の大学の正門前に足を向けた。

そして、そこから一時間以上待たされることとなる。

当時はまだ携帯電話もない時代。事前の摺合せがほぼすべて。
ポケベルとかも通じずただ待つしかない。
今日は試合があってそれが終わったら付き合えるからと聞いていた。
にしても試合がズレても一時間はなくないか?いうてる間に一時間半が経った。

これはもう帰って良いやろ、大阪芸大には俺だけでいく?つうかもういかんでもいいか!?とにかく何やっとんねんあいつは!?

そして奴はきた。

案の定の困り顔、そしていう事には。

「ほんますまん!試合が長引いて逃げられんかった!一回生は厳しいねん」

ほうほう、左様で、大学生様は大変でございますねぇ。
俺はとりあえず何の連絡もなく路傍の立て札となった我が身の不遇に苛立ち、
その怒りをぶつけたがそれに対する奴の返しは意外な物だった。

「そんな怒んなよ、こんな時にハセコはこう返して来たぞ」

ハセコとは俺たちの同級生で無類の変人だ。
まあとりあえずハセコがなんて返して来たか聞いてみた。

「あいつは俺が二時間待たせた時があってな、二時間やで、
 俺もさすがに真っ青になって急いで駆けつけたんやけどな、
 そん時にハセコはなんて言ったと思う?」
「はぁ、なんていったんや」
「あいつ缶コーヒー用意してて『遅かったな、大丈夫か?よく間に合ったな』と
 暖かく迎えてくれたんや。ほんまキツかったわ」
「ほんで、それが今日の遅刻に何か関係あるんか?」
「なんにもない。ごめんなさい」

俺たちはそれで和解してボチボチと京阪電車千林駅に向かって歩きだした。
すでに陽は傾き始めている。