なんとか入学試験をパスして大阪芸大入門の切符を手にした。
入学式までのわずかな期間に俺は急速に変わりゆく刻を感じていた。
まさか受かるとは思っていなかったのだ。
両親はよかったねというけども相変わらずリアクションは薄い。
うちの両親はそんな感じ。
おとんもおかんも中卒の大工と美容師。
どっちも戦後生まれの貧乏暮らしで高校にも行けなかった。
だからこそ俺と弟には学を付けたいというのが願い。
そんな昭和のバブル発JAPANドリームがリアルに活きていた時代だった。
後に親戚のおばさんから聞いたが、
おかんは電話で俺の事を何考えてるか分からんがろくに勉強もせんのに大学まで行った、あいつは天才だと褒めていたらしい。
親の欲目、自分が行きたかった世界に子供送りこめた親の喜び。
今ならばそれが分かる。
入学式までの小春日和に、
俺は行きつけの散髪屋を訪れた。
「兄ちゃん髪をピンクに染めてくれ」
愛車のCB750を店の前で磨いてる理容師に俺は言った。
「おいおい大丈夫かよ、おまえモヒカンした時におとんにしばかれたやんけ」
「大丈夫、もう大学生になるからな」
「お!受かったんか!せならやるか!」
やんちゃな理容師とあれこれ相談しながらブリーチ。
俺の髪は頑固で硬くて太くて三回ブリーチしても色が抜けきらない。
理容師も意地になって予算越えてもキレイなピンク目指して色を抜く。
そして色を付ける。
5時間かけてなんとか染め上げた。
「これで文句ないやろ。疲れたわぁ」
「おう、これで行ってくるわ」
次の日は衣装合わせ。
阿部野橋に向かうためにおとんにしばれるかもしれない不安を抱えながら、
ピンクに染まった髪をなびかせて菊水通りのプロムナードをチャリンコで駆け抜けて俺は家に帰った。