入学式。
どこだったか、中之島のフェスティバルホールだったか。
ガッチリとポールスミスで揃えたスーツに身を包み向かった。
誰も俺を知る者のない、独りきりで向かう祝いの場所。
これはもう旅だ、新しい場所への旅。
見知らぬ新生活を迎えた学生の群れに俺も紛れて、ろくに話も聞かずにただその時が流れる事を味わっていた。そして式が終わりそそくさと帰ろうとしていたその時、見ず知らずの男が声をかけてきた。
「おい!ピンクやなぁ!」
そう、俺の頭はピンク。それは間違いないが。
「今から飲みに行くから一緒に行こうぜ!」
俺よりも歳が上に見えるおっさんに声をかけられる。しかしそいつも入学生らしい。俺は気後れもしたがビビっているとは思われたくなくて、ただ言葉少なに、
「おう、ええで」
とだけ答えてそいつについていった。
十人ほどの集団に紛れてそのまま飲み会に参加した。もちろんだれも知らない。
その場に集まった奴らはそれぞれバラバラに集まったようで、俺に声をかけてきた奴は後から知ったが堺のほうで族の頭をやってた奴らしい。さすが組織作りが上手い。こうして大学に入って最初の人的交流が始まった。この場に集った奴らとはこの後も着かず離れずすれ違う事になる。20年以上経つ今も。
ピンクの髪とポールスミスのスーツは俺に最初の扉を開いてくれた。それと同時に、きっと俺の本質とは違う姿を周囲に映したのだろう。その始まりともいえる。ハリネズミみたいな赤髪のガリガリ野郎がやけに元気に話しかけてきた。
「おい、おまえおもろいな!なんやその頭!」
お前に言われたくないと思いながら、どこか妙にハマらない感じ。中には異様なオーラ纏った奴もいたが、ここには俺が探している「人」はいない。そう感じながらハレの日を楽しみ遊んだ。
こんなもんなんかな、なんとなく寂しさを感じながら俺は家路に着いた。
そして家に帰ると親父と顔を合わせた、親父は俺の頭を見ても何も言わなかった。季節が変わったようだ。新しい春が始まったのだ。
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グランカスタマ⑪
次の土曜日。
調子のいい不動産屋が指定してきた日程。
まだ金の用意がろくにできてはいないが、しかし躊躇もしてられない。
とにかくまずは話を聞いてみない事には始まらない。
そう思った土曜の昼下がり、不動産屋から電話が。
「すんみません、インフルにかかりまして、ちょっと動けないです」
出鼻をくじかれたが、ここは待つしかない。
しかし、突然なにも予定のない土曜日がやって来た。
帰る家も、落ち着く場所も何もない丸裸のホームレスの自分がそこにいた。
とりあえずバイクに乗って近くの公園にいく。
幸い天気は良い、そして小春日和の公園には小さい子を連れた母と父が、
公園の遊具を使ってたわいない事で喜び騒ぎ今日を確かめている。
俺はいつかの自分を、自分たちをそこにぼんやりと眺めながら、
どうしようもない明日への不安、それどころか一時間後すらもはっきりとはしない今という暮らしを嫌が応にも突き付けられながら苦い缶コーヒーを呑んでいる。さすがにこれはウドのコーヒーより苦い。
ふと大通りに目をやると、60歳過ぎのおっさんがボロいカートを引きずりながら歩いていく。直感で分かった、仲間だ。奴もそうなんだ。
暖かな陽の光を浴びながら、おっさんは一人、こんな休みの日に一人当てどなく歩いていく。何故か?答えは一つだ、歩くしかないから。
そう、歩いている限りこの社会の中に、街の中に紛れる事ができる。
歩くという事は、どこかへ向かうということ、どこにも向かわなくても歩いている限りどこかへはたどり着く。行き場のない道をただただ歩いてさえいれば。
それが今の自分なのだ、あのおっさんと何も変わりはしない。
俺は陽の光を浴びて、楽しそうに声を挙げる家族の陰を眺めながら震えて立ち上がった。そしてバイクに乗ってポケットの小銭をかき集めてまたグランカスタマへ帰った。いま僅かな金を惜しむくらいなら、あの窓のない部屋で少しでもいい、静かに眠りたいと。
バイクを止めて詰まった息を抜くために歌舞伎町を歩いて回る。
トー横にはやけに楽しそうなキッズが小さく群れている。俺も奴らも明日なぞ知らない。ただ今日抱えた凍えるような陽の光をどうやって忘れられるかと、
そんなありもしない共感を。
ハッピーハードコア⑧
時間は少し遡り。
高校二年の夏休みの事。
おれは退屈していた。
うだるような暑さの中、誰に見せるでもないが散髪に出かけた。
そこは例のピンクに髪を染めた散髪屋。
「おう、今日はどうする?」
「せやなぁ、暇やしモヒカンにでもするかなぁ」
「おう、分かった」
ほんまにモヒカンに。
疑問も質問も何もなくザックリ。
ドキドキしたなぁ。
そして家に帰る。
二階に上がり居間にいる親父と顔を合わす。
「はぁ!?お前なんじゃそれは!!!!!」
親父は大工。
当時はまだ40代で現役バリバリのムキムキの職人である。
昔気質で小僧の時は親方から厳しく仕込まれ、
仕事の所作に些細な粗相があろうものなら金尺で手の甲をしばかれるような時代のゴリゴリのガチガチの職人である。
俺のモヒカン頭を見るなり猛然と突進してきて、
襟首をつかみ上げて壁に叩きつけた。
当時の俺はすでに身長は180cmを越えており親父よりもデカかった。
それがリカちゃん人形のように吹っ飛んだ。
「なにが不満なんじゃわりゃあああああ!!!!」
いや、不満とか一切無いし単にネタなんですが。
とも説明できず猛烈な勢いで涙目土下座して速攻で丸坊主にした想い出。
仕事ばかりで俺ともろくに話すこともなかった当時の親父にしてみれば、
俺がグレたくらいに思ったんだろう。とはいえ小学校の時からいたずらのノリで、それとは知らずに車上荒らしとか賽銭泥棒とかを近所の悪童と一緒にしていた俺を見てきた親父にしてみればついにヤバい所まできてしまったと思ったのだろう。今になって振り返れば分からないでもない話だ。守口門真ブルーズ。
ちなみに俺の実家は美容室でおかんは美容師なので髪型の事では何一つああだこうだいう事は無かった。むしろ仕事の甘さを指摘してくるくらいだ。しかし、頼んでも俺の頭は触ってくれない。理由は「タダで仕事はしたくない」との事。むしろ金遣るから他所に行けと言われる始末である。
そんな経緯があり、俺は親父を警戒してその日は例の尾崎の元に避難することにした。尾崎はすっかり大学生になっており、剣道部の彼女の下宿にしけ込み連日よろしくやっていた。そこに転がり込んでそんな経緯を話、高2の夏休み明けの坊主頭の理由などを話しながら次の日は阿部野橋のポールスミスに出かけた。
阿部野橋のポールスミスは俺と尾崎の腐れ縁である長谷川の贔屓している店で、長谷川は高校生でありながらポールスミスから上客として季節ごとに直接便りが届くくらいの着道楽だった。それを自分のバイト代だけで賄い、長谷川の家に遊びに行くとあいつはポールスミスのド派手なパジャマに着替えて過ごしていたりした。特に裕福ではなくむしろ家計は大変だった母子家庭で、家も古い長屋だったが一つも卑屈なところもなく、不登校児であったが存在感がとにかくデカくて無暗に才能にあふれる男だ。やることなすこと規格外であり、そこに尾崎は惚れ込んでおり足しげく長谷川の元に通っていた。
俺はといえば例によって例の如くなんでか知らんがそんな長谷川とも良いも悪くもなく親交があり、尾崎に誘われるままに長谷川の地元に遊びに行っていた。ようは社交的な尾崎がいろいろな人間とのハブとなっていたんだな。そしてそんな中で俺も自然にポールスミスに通うようになり、大学の入学式のスーツはそこで買う事にしたのだ。
ドピンクになった俺の頭を見て、ジョージハリスン似の当時の阿倍野ポールスミスの店長がチョイスしてくれたのはグレーのスーツ。ゆったりしているが仕立ての良い、袖を通した時の着心地の良さに驚いた事を今でも覚えている。そして合わせる靴はプレーントゥが良いよとアドバイスしてくれたが俺は自分好みの紐付きチャッカーブーツを選んだ。
いよいよデビュー戦は近づいてきていた。
グランカスタマ⑩
次の日もそつなく、何食わぬ顔で仕事をこなしまた歌舞伎町に帰ってきた。
そして受付を済ます。
「お部屋どうしますか?」
いつものように一畳部屋かと思いつつも、ワンチャン例のチャレンジ。
「ロフト空いてます?」
「ええ~と、空いてますね」
きた。
グランカスタマの個室は各部屋ごとに広さが微妙に違う。限られた面積のフロアを仕切っており、その部屋の区切り方によって広さと体感が違っている。その中でもロフト部屋は格別に広く、その名の通りロフト付きで仕事もできるほど広さがある。さらにそのロフト部屋でも場所によって広さが違うという仕様になっており、そこを抑える事ができるかどうかは運である。故にステイ常連の中には24時間更新の瞬間に受付で延長を申し出る者もおり、数百円の違いで格段に快適になるそのスペースを抑える事は一畳部屋で過ごすこととは格段の違いがある。
ついに、グランカスタマ部屋ガチャに勝った。
俺は逸る気持ちを抑えながら糞遅い油圧式の箱に乗り込み、憧れのロフト部屋に入った。驚くことにそこはロフトでも一番広い部屋であった。
「ひゃっふーー!!!!」
俺は思わず備え付けの椅子に座ってフロアでくるくると回ってみたり、
好き放題に荷物を乱雑に置いてみたり、なんでもない日常を全力で楽しんだ。
ひとしきりロフト部屋を楽しんだ後に風呂。
大浴場にゆっくりと浸かって汗を流し、心身ともにリラックスし部屋に戻ろうとしたその時モップを持ったスタッフとすれ違った。そのスタッフは見たことのないTシャツを着ており、俺は「あっちょと待って」と声をかけた。
そう、グランカスタマ名物であるレアスタッフである。
説明しよう、グランカスタマ内には通常のスタッフとは別のTシャツを着たレアスタッフが徘徊しており、そのスタッフに声をかけるとステイ時間延長クーポンなどの特典をゲットできるのだ。
柔道部っぽい感じの陰キャ丸出しスタッフは俺にニヤリと笑いかけ、
「どうぞ」と言葉少なにチケット渡し去っていった。無駄なコミュニケーションはしない。ここは歌舞伎町グランカスタマ。誰もが静かにすれ違っていくだけの仮の宿。
そして部屋に帰ると電話に着信。それはネットで見つけた安い物件に申し込んだ返事だった。さっそく折り返す。
「ああどうも、ご連絡いただいてたアースプランニングのハヤシです」
「どうも、部屋空いてますか?」
「いやぁすみません、例の部屋はまだ退去前でちょっとお時間もらうんですよ」
「そうなんですか?すぐに入れると思ったんですが」
「ですよね!ちょっと手間取ってまして」
「分かりました、ではしょうがないですね」
「ちょっと待ってください!練馬近くで3万円台ですよね!あるんですよ!」
「え!?」
「しかも風呂便所別!駅から歩いて10分以内です!」
「ええ!?」
もう怪しさプンプン。しかもこの不動産屋とは電話でしか話していない。
しかし、乗るしかないこのビッグウェーブに。
波が来ている、風が吹き始めた。
グランカスタマの祝福が俺に囁きかけていた。
グランカスタマ⑨
窓もない、一畳程度の空間。
そこに引きこもって得られる安心感は何より現実から俺を守ってくれた。
安い酒を呑んでyoutubeを観ながらひと時、脳を殺す。
幸いにも金もルートも無いから草も玉も粉も手に入らない。
安く優しく酒を呑んで山田五郎の与太話を聴きながら過ごす安寧。
あっという間に朝がやってくる。
必要もないのにカレーを食って、無駄に卵を乗せて体に良いと言いきかせ、
泊まりにかけた僅かな金の元を取ろうと必死にカレーを胃袋に流し込む。
地下にあるカレーと漫画が並べられた沈黙のコーナーにいると、
そこにどこから来たのか、どこに行くのかも分からない、
歳も姿もバラバラな男と女が皆一様に黙々とカレーを胃袋に流し込んでいる。
嫌が応にも今の自分を突き付けられる。
そして俺はバックパックに今の自分のすべてを詰め込んで歌舞伎町に出ていく。
そして都庁前に何食わぬ顔して出勤していく。
ホームレスであることを誰に告げるわけもなく、
キレイなオフィスで何食わぬ顔で仕事をする。
周りで働く同僚たちはそれぞれどこかに帰っていくが、
俺はどこにも帰る事が出来ずにまた歌舞伎町に帰っていく。
行き場のない、頼るものもない、寂しさ。
そんなことを知る由もない歌舞伎町のトー横には今日もキッズが群れ遊び、
人目を避けた場所にジョグを停めてまた宿をとる。
思えばあのキッズ達の親は俺と同年代か。
おい、お前らの親父もこうして歌舞伎町で生きているぜ。
もう慣れたもんでさっさとチェックしてグランカスタマのエレベーターへ。
チェックインした時にもらえるドリンクチケットで飲みものを取り、
安定のノロい油圧式かと想うような箱がやって来た。
ドアが開き乗り込むと他の客が駆け込んできた。
厳ついダブルのライダーズジャケット。
顔を見ると俺よりも年上のおっさん。
顔に刻まれた深い皺は、バイクと共に風を切ってきた証。
今日は4階だから長い、バイカー親父は沈黙。
時折その筋肉の動きに合わせてライダースジャケットが軋む。
機械の音とよく手入れされたジャケットから油の匂い。
なんでこんな厳ついおやじがここで休むのか。
ライダーは3階で降りて行った。
ああ、そろそろ洗濯しなくちゃな。
ハッピーハードコア⑦
なんとか入学試験をパスして大阪芸大入門の切符を手にした。
入学式までのわずかな期間に俺は急速に変わりゆく刻を感じていた。
まさか受かるとは思っていなかったのだ。
両親はよかったねというけども相変わらずリアクションは薄い。
うちの両親はそんな感じ。
おとんもおかんも中卒の大工と美容師。
どっちも戦後生まれの貧乏暮らしで高校にも行けなかった。
だからこそ俺と弟には学を付けたいというのが願い。
そんな昭和のバブル発JAPANドリームがリアルに活きていた時代だった。
後に親戚のおばさんから聞いたが、
おかんは電話で俺の事を何考えてるか分からんがろくに勉強もせんのに大学まで行った、あいつは天才だと褒めていたらしい。
親の欲目、自分が行きたかった世界に子供送りこめた親の喜び。
今ならばそれが分かる。
入学式までの小春日和に、
俺は行きつけの散髪屋を訪れた。
「兄ちゃん髪をピンクに染めてくれ」
愛車のCB750を店の前で磨いてる理容師に俺は言った。
「おいおい大丈夫かよ、おまえモヒカンした時におとんにしばかれたやんけ」
「大丈夫、もう大学生になるからな」
「お!受かったんか!せならやるか!」
やんちゃな理容師とあれこれ相談しながらブリーチ。
俺の髪は頑固で硬くて太くて三回ブリーチしても色が抜けきらない。
理容師も意地になって予算越えてもキレイなピンク目指して色を抜く。
そして色を付ける。
5時間かけてなんとか染め上げた。
「これで文句ないやろ。疲れたわぁ」
「おう、これで行ってくるわ」
次の日は衣装合わせ。
阿部野橋に向かうためにおとんにしばれるかもしれない不安を抱えながら、
ピンクに染まった髪をなびかせて菊水通りのプロムナードをチャリンコで駆け抜けて俺は家に帰った。
ハッピーハードコア⑥
1996年初頭。
相変わらずの偽物の浪人生活を過ごし、
相変わらず浪人仲間に心配されながら、
どうにかまずは浪人一年目のインセンティブで推薦受験。
不合格。
一般入試。
もうこれでダメなら終わり。
受けたのは本命の文芸、押さえの建築、ワンチャンの映像。
しかしこの中で一番簡単なのは文芸。建築はもっと偏差値が高い。
まあ、何とかなるだろう。
そんな根拠のない自信というか諦めというか開き直りで突き進んだ。
忘れられない。
当時の受験では建築だけが面接があった。
集団面接で5人づつが面接を受ける。
俺は最後の最後だった。
たぶん200人くらいいただろうか。40組ほどの面接が消化されるそれを待ちながら、ひたすら待ちながら時を過ごす。
そしてついにやってきた俺の番。
制服を着た真面目そうな男子と女子と私服の俺。
5人いない、もう3人しかいない。
前に並ぶ面接官は三人、もう受験生の話を聞き飽きてふんぞり返っている。
「はい、では皆さん志望動機をどうぞ」
いやザックリ!適当!
もう見るからに飽きてるし適当。それは手に取るように分かった。
おそらく現役の男子曰く
「祖父の家の改築を見ていて建築に云々・・」
恐らく現役の女子曰く
「住宅展示場を観に行くのが自分は好きで云々・・・」
面接官はもう鼻でもほじりだす勢いで目も死んでいる。
ヤバい、これはもう俺の話なぞ聞く気もないぞこれ。
最後の最後の一人になった俺。
もうどうにでもなーれが出る。
パニック状態の脳みそから捻くりだされたのは、
図書館で観ていたある写真集の事だった。
「自分が建築で面白いと思ったのはサグラダファミリアです」
その場にいた全員がポカーンとなった。
次の瞬間、椅子に寄りかかっていた面接官の一人がテーブルに肘をついた。
「ほう、サグラダファミリアの何が面白い?」
「はい、ガウディがあれを設計してから80年以上経ち完成には尚100年以上かかるとか言われてますけど、それって面白くないですか?」
「何が面白い!?」
三人いるうちの二人が還ってきた。
「ええ、だって本人はもう死んでるんですよ!?それなのにその設計に基づいてその後も多くの人間を巻き込んでその記録とエネルギーは生き続ける。完成してないのに石工とかそこで働く人間とか巻き込んでいつ完成するか分からないものに向かって突き進んでいくんですよ。物凄い力があると思うんですよ。だからそれを学びたいと思いました。ここで」
嘘八百並べ立てた。
ただただ浪人時代に図書館で得た教養のみを頼りに嘘八百。
三人の面接官は全員が眼を爛々とさせて俺の話を聞いていた。
合格発表。
俺は建築学科に合格した。
デッサンも何も学ばず、ただ嘘八百で。
文芸学科と映像学科は落ちた。
なんでやねん。
こうして俺は晴れて大阪芸術大学の坂を登る許可を得たのだった。
グランカスタマ⑧
ひとしきり看板ウォッチを終えて寝床に帰ってきた。
さて、とりあえず飯と酒だな。
グランカスタマ歌舞伎町の一階は受付とコンビニになっており、
謎のアジアンブランコが設置されている。
俺が帰ってくると先ほどとは別のトー横キッズの女子がブランコに乗って楽しそうにしている。このブランコはよほどいい暇つぶしなんだろう。そして「わたし可愛い」を映えるアイテム。なんて考えながら嫌気がさす。
彼女はたいそう襟が大きなコートを着て、白いタイツを履いた足を惜しげもなく見せびらかして、そんなに激しく乗るもんでもないブランコを揺らしている。
不思議とエロさは無く、そこはかとない幼さと儚さが詫び寂び。
いかにも歌舞伎町、これが今の歌舞伎町ということか。
こういう詫び寂びは10年前の歌舞伎町には無かった。
いわゆる「萌え」がこの街にも浸透してきたのだろう。
ドぎつい夜の装いにカワイくて萌えのある装いが馴染んだ。
しかしやってる事は昔より幼く危険で定めがない。
歌舞伎町の新しいモードを横目に見ながらふとグランカスタマには大浴場があることを思い出した。俺はとりあえずささっと風呂に入り、ゆっくりと足伸ばして流した汗の分だけ一階のコンビニで酒を買い込む。思えば今日はろくに食っていない。もはや何を食ってもいいわけだが、だからといって好きに食っていては体がもたぬ。思えば俺の親父も50歳過ぎで家を出て行った、追い出したのは俺。つまり、どんな理由があろうとも自分の父親を家から追い出した報いを俺は受けているのだろう。そんなことを想った。親父は家を出てから程なく糖尿病で体を壊した、俺もその気があるから同じ轍は踏めない。
野菜、発酵食品、酒。気にしながら選ぶ。
そう、俺は東京のど真ん中でサバイバルしている。いま、一つ一つの選択が明日の自分の命を決める。寝床、トイレ、洗濯、食事。何一つ安定していない。明日はどこで何をしているか分からない暮らし。わずかな金があるからとりあえずエアコンが聞いた空間は確保できているが、今の俺はホームレスに違いは無い。
コンビニの総菜を選びながら肝を冷やしつつ、今欲しい物を抱えてレジに並ぶ。
俺の前に色白の若い男が二人、男、男か?いや男だな。
しかし、二人とも頭に赤い耳がついている。顔を見るとオルチャンとかいうやつか、白塗りのような例のあれ。
「ねぇねぇ、あれ買う?キノコ?タケノコ?」
「ええ!?どっち派?キノコ派?」
「うんタケノコ?キノコどっちでもよくね?」
「それな、美味いしな」
「それな」
レジに並びながらふと思う、今も昔もそんなに変わらんのだなぁと。
トー横キッズと呼ばれるこの赤い耳したキッズは、
差異ではなく本質を捉えた。
それな。
グランカスタマ⑦
歌舞伎町。
今も昔も背中に油断できない街。
この街を御用聞きで回っていたのはもう15年も前。
あの頃、この街にいた奴はもう誰もいない。
今は新しいこの街の住人達が幅を利かせている。
それは驚くほど若く、か細く、故に危うく。
自分は随分年老いたのだと知り、
同時にまだこの街にいて背中に寒気を覚えるくらいには覇気はあると知る。
正月三箇日の中日に街角に積みあがるゴミ袋、
街ゆくマスクもしない男女、
形を変えたビルディング。
俺は煌びやかな看板、
そして異様に巨大な液晶パネルに目を見張った。
職業柄それぞれのサインの見積りが目に見える。
なんという金額をかけているのだろうか。
1000万超えの看板がそこかしこに並んでいる。
これはどういう事だろうか、
これだけの数を撃てば安くもなるのか?
また液晶に関わらず打ち出し板金の看板やネオンもある。
看板屋が技術と情報を競い合っている。
これは凄まじい。
俺はひと時自らの愚かさも不幸も忘れて写真を撮りまくった。
仕事をしよう。
新しい仕事を。
歌舞伎町が、それを教えてくれている。
グランカスタマ⑥
エレベーターを降りるとそこはダンジョン。
見た目は壁に貼られた光沢のある内装材でラグジュアリーな廊下。
しかし、入り組んだそれはまさにダンジョン。
虫の巣といおうか、
限られた敷地にギュッと押し込んだ間取り。
そのマップが廊下にあるのだが、
このマップが正確であることを知るのはもうちょっと後の話。
アテンドされた部屋にとりあえず荷物を置き、
部屋というか、窓もなく一畳ほどの隔離区画された場所。
それはまさに独房。
しかし、今の俺にはそれが何より有難い。
少なくとも、他から隔絶された、
少し間だけ一人になれる、独りの俺の場所を確保できる。
今は、それだけでただ有難い。
なにより、寒さに命を脅かされることなく、
ぼんやりとだが人の生きる場所に居る事ができる安堵。
帰る場所を失う人間の心細さ、
それを知って拠り所のない、
行き場のない感情が喉の奥から戻ってくるのを抑え込んで耐える。
だから俺は夜の歌舞伎町を散歩することにした。
もう、帰るところは無いのだ。
ただ、ここからまた俺は、独りで始めるのだ。
そんな気持ちを持て余しているぐらいなら、
歌舞伎町で暴れまわるトー横キッズや変わり果てた想い出でも眺めに行こうと。
金もない、情けない、ダサいおじさん。
それが俺だ。
光と影が渦巻く、情報が氾濫する街にそんな自分を紛らわせるため部屋を出て、エレベーターに向かう。
油圧式かと思うほどにトロいエレベーターがゆったりやってくる。
そしてドアが開いた。
先客が乗っている。
ちょんまげ2ブロックのスーツニキ。
これはまた尖がってるね。
ニキは電話している。
「おん、おんおん、それは分かってるから?で??」
荒ぶるちょんまげ2ブロックスーツニキ。
ちょっとこっちを見て声を潜めつつ、
しかし揉めているのは間違いなく。
いや、エレベーター内でそれはやめてよ、
辛いよこっちは。
一階に着いてニキは肩で風切って出て行った。
何を揉めてるのか知らんが耳に残る言葉は、
「そんなもんTENGAでも買っとけ!」
お、おう。
ドンキが安いみたいよニキ。