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グランカスタマ・プロローグ

2022年は散々な年だった。

オリンピック景気が霞始めた2019年辺りからケチがつき始めた。案件は減少傾向にあったがそれが一気に加速した感があり、ぐずぐずと金にならない仕事に足を引っ張られ徐々にすり減った。そこにコロナがやって来たのだ。しばらくは地震保険や助成金給付金で凌いでいたが2021年の後半にはそれも限界に達し、潜り込んでいたビルの外壁洗浄の現場にも怪我と狭い足場に186cm102kgの巨体が馴染まず一年で撤退。その間にベッタリ入り込んでいたサイン関連や細々とした修繕案件をくれていた顧客が全滅、何せほとんどが飲食店だったからモロに煽りを食らった。他業種の贔屓にしてくれていた社長もコロナで亡くなり、まさに丸裸になって新たな食い扶持を求めてコロナに疲弊する世間を彷徨った。

コンビニ、コールセンター、営業事務、細々と入る本業を粉しながら合間に丁度良い仕事を探すがそんな都合の良い仕事は無い。アップライジングを諦めて平日フルタイムの勤めにでるか、しかしそもそもその仕事が無い。稼げなくなった40超えた自営業者をほいほい雇うようなところは無かったそんな2022年初頭。

外装の洗浄は自分には向かなかったが仕事自体は嫌いではなかった。ネットで求人を漁っていた時にふと目に止まった内装クリーニングの募集。何げ無く応募してみたら案外近所で都合よくとにかく話を聞きに行った。

社長は何故か流暢な関西弁で喋る関東生まれの男で、いわゆる勢いがある系の経営者だ。そして面接でクリーニングの話をする。しかし内装と外装は全く畑が違うからお前の経験は役に立たないとバッサリ。まあ仕方ないかと思いきや経歴を話していくにしたがいどうやら過去に近しい業界にいた事が分かり、早い話事業拡張を考えていた社長から提案がもたらされた。

客は連れてくるから実務をやれ、事業が軌道に乗ったら子会社化も視野に。案件が動くようになったら社員にする、それまではこちらから別の仕事もだそう。

美味い話だ。だが正直言えば目に見える地雷。
しかし、チャンスの女神には前髪しかない。

俺は賭けた。

そして、負けた。

詳細は割愛する。
負けたのだ。

半年かけた仕込みは全て水泡に帰し、体力は尽き果てた。車を売り、カメラを売り、何もかも手放しながらついにアップライジングをから一次撤退する腹を括り新しい職を得た。

しかし、時すでに遅し。
カミさんは俺を見捨てた。金の切れ目が縁の切れ目。力無き者の末路である。
14年の歳月に積み重なった棘は一気に全てを引き裂いた。決して相性のいい夫婦ではなかった、多分今まで生きてきて一番喧嘩した相手だった。それでも互いに認め合い支え合ってやってきていたが、そう思っていたのは俺だけだったようだ。向こうにも言い分はあるしこっちにもあるが、道は分かたれ言葉はすれ違うのみ。

夫婦とはもっとも近い他人である。

ここから先は地獄しかない。互いに潰し合い奪い合う餓鬼畜生の争いが待っている。最初は俺の一人暮らしに必要な準備ができるまでは家庭内別居も構わないと言っていたが三日も経たずにすぐに出ていけと変遷する。何かおかしい、言いようのない違和感を感じていたがもはやそれすらも意味を持たないくらいにはすべて終わっていた。そんな中で唯一の希望があったのはようやく仕事が見つかった事。それは新宿でのコールセンター業務。年末には給料が出る、そのタイミングで俺は家を出る事を決めた。これ以上子供達に醜く奪い合い潰し合う親の姿は見せられない、ただそれだけの為に。

2022/12/30にカミさんと子供達は新潟の実家に帰省して行った。俺は1人仕事部屋を掃除してバックパックに寝袋やキャンプ道具にポータブル電源を詰める。万が一野宿でもすることになればこれが命綱になるだろう。玄関に俺の荷物が纏められている、早く出て行けと言わんばかりにゴミと一緒に並んでいた。住み慣れた我が家で1人年を越し、明けて2023/01/02になり、子供達に手紙を残して、
誰一人見送る者も無く俺は愛しい我が家を後にした。

ステレオタイプ-1 ドライフラワー

いつからだろう。

マスクをつけていることが何となく落ち着くようになったのは。

今日も一日、いつものように仕事をこなして家路につく。
冷蔵庫にはろくに何も入っていない。確かビールも飲みつくしたな。

暮れなずむ街を窓に映しながら電車は走る。紫とも青とも赤ともつかない空色の下、他人の家の窓に明かりが灯りだしている。なぜだか寂しいんだか懐かしいだかよく分からない気持ちがこみ上げてきて、俺はぼんやりとあいつの事を思い出していた。

あいつと初めて出会ったのは得意先での打ち合わせの時だった。皆がマスクをし始めるよりも前。俺は材料屋として得意先の企画提案にアドバイスする立場でそのミーティングに参加していた。販路開拓のための試験的な企画だった。PTメンバーも自分含めて三人しかおらず、正直売り上げになるかならないか分からないような話だったが、上司から顔つなぎの意味もあるから行って来いとケツを叩かれた。
その企画の担当者があいつだった。

気が強そうで仕事に燃えている、要るんだか要らないんだかよく分からないような企画に真剣に取り組んでなんとか爪痕残してやるという気概が伝わってきた。俺は正直言ってどうやってこの企画から手を引こうかとばかり考えていたが、そのうちにあいつのペースに巻き込まれて面白くなってきて自分からあれこれ提案するようになっていった。

最初のミーティングから四か月後に最初の受注を取る事が出来た。本来ならば三か月目には成果を出さなければならなかったのだが、予定をオーバーしてしまい企画自体が流れてしまうところをあいつが粘り強く上長を説得し結果にこぎつけた。最後の一か月は二人で顔つき合わせて試作品の選定やらプレゼン用の資料作成やら、毎日のようにメールやSMSで言葉を投げ合って繋がっていた。楽しかった、契約が取れたときは思わず声が出そうになるくらい嬉しかった。

そして二人で細やかな祝勝会を開いた。そこで俺は気がついた、仕事場で見せていたあいつの顔の下に、柔らかで物静かな優しい仕草が隠れていたことに。それからいくつか案件をこなし、俺たちの仕事は順調に進んでいくように思われた。しかしある時、あいつからメールが飛んできて急に先方に呼び出された、突然新しい担当に引継ぎをするという。俺は一瞬思考停止してしまった。仕事は順調に進んでいたし特に何か問題があった分けではない。なのになぜ急に担当が変わってしまうのか理解が追い付かなかった。なによりこの企画を育ててきたのはあいつだったし、誰より努力してきた姿を俺はそばで見てきたから。

引継ぎの話を進めている間、あいつはいつも通りの顔をしていつものようにそつなく仕事を進めていく。悔しいのは俺ばかりなのかと腹の底が冷えるような寂しさを覚えた。それから数日してあいつからSMSがきた。転職するのだという。

俺はたまらなくなってあいつに会いに行った。離れたくなくて放したくなくて。
あいつの住んでいる三軒茶屋のカフェで待ち合わせた。いつもとは違うゆったりした服はより一層いつか見たあの顔を表にしていた。案件が別の担当に変わったのは成果が出始めたので上司が自分の傘下に取り付けたからだという。転職については前々から考えていたがこの一件で気持ちに整理がついたと。一通りあいつの話を聞き終えて、俺は自分の気持ちを伝えた。あいつは少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに目を細めて淡く微笑んだ。

そこから俺の三軒茶屋通いが始まった。あいつはさっさと仕事を辞めて、ほどなく次の職場がきまり忙しく動き始めた。お互い新しい日々を過ごしながら、今までとは違う距離で、これまで以上の温かさを感じながら居心地を育んだ。

茶沢通りでカレー食って、夜には駅前の路地を探検してみたり古びた銭湯にもいった。お互い忙しい中で寝る間を惜しんで一緒に居る事を楽しんだり嬉しがったりして、今となっては幻みたいな日々だ。

世田谷線に乗り慣れる頃に俺は一緒に暮らそうかどうしようかと考え始めた。しかしあいつの仕事はどんどん忙しくなっていき、責任ある立場を任せられるようになっていった。三軒茶屋で一人で待つこともしばしば、俺はそんな中で退屈と向き合いながら独り乾いていった。

そんな状況は一年以上変わる事もなく、一緒に居て喧嘩する事も増えていった。そこにはいつか現場で見ていたあいつの顔があった。堪らなく寂しかった。
言葉はやがて鋭い棘で線を引くようになる。心に少し持ちきれないくらいの擦り傷がモザイクみたいに広がって、そんなことが伝えたくて、そんな顔が見たくてここにいるはずじゃないのに。

世田谷線に乗る事がなくなっていった。週に三日と空ける事無く乗り込んでいた妙に古臭い車両をふと思い出しながら、それでも足はだんだんと遠のいていた。行ったところでそこにあいつはいないから、下手くそな鼻歌を歌いながら料理したり、地震が来た時に思っている以上に機敏に動いてそばに寄り添ったり、そんなあいつをあの部屋で待つことが何となく乾いていく原因なんだと俺は気がついていた。

冬から春に季節が移り変わる頃、自分が思っているのとは全く違う形で世間が大きく姿を変えていった。誰もかれもがマスクをして家から外に出る事さえもできないような。仕事も会社も何もかもが慌てていた、海の外からも物が入ってこない。誰にも責任の取りようがない事の連続だった。

そんな中で俺はあいつの事を忘れていた。正確には忘れたことにしていたんだろう。しょうがない、こんな時なんだからしょうがないね。そうSMSで伝えながら遠くに走り去っていく世田谷線を見送った。

自分の部屋で独りで過ごして、どこに行くこともない暮らしが始まった。いや、そこに戻っただけ。毎日目に見えない何かに追われているような生活。マスクも慣れてきてまた冬がやってくる頃だったろうか、あいつから連絡があった。
「結婚します」と。

俺はなんだかほっとした。そして同時にゾッとした。突然、頭にコンクリートの塊が落ちてきたみたいな。「おめでとうございます、どうかお幸せに」と返信した。目を細めて淡い微笑を浮かべているあいつを思い出しながら。

冷蔵庫にあるビールを全部飲み干して、スマホを開いてFBを立ち上げた。ずっと放置で登録してるフレンドも20人くらいしかいない。その20人の中にあいつもいる。三軒茶屋に通い始めた頃は毎日チェックしてが、だいたいそれと同じ話や写真をあいつと一緒に見る事になるからいつからか開くこともなくなっていた。

あいつの日記は1年くらい前で止まっていた。それは二人が別れた頃だ。あの頃を指で追っていく、俺がそこに居た。なんだよ、幸せそうな顔してやがる。やがて写真は仕事仲間や一人でいる時の物が増えていき、最後はドライフラワーの写真に一言「幸せになってやる」と添えてあった。

きっとそうだ、そうだよな。
もうあいつは三軒茶屋にはいないんだろう。
ありもしない乾いた花から、優しくて柔らかな香りをそっと風に乗せながらあいつは何処かへいってしまった。

ハッピーハードコア-プロローグ

2001年1月2日早朝

大阪富田林の山のふもとに立っている古びた学生寮。建物自体は倉庫として登録されていると噂されている老舗の学生寮である幸和寮。その一室に男は眠っている。部屋の壁天井、それだけでなくテーブルも冷蔵庫も電話でさえもみなエメラルドグリーンに塗られた四畳半の部屋。壁には巨大なモーニング娘。とボブ・マーリーのポスターが並んで貼ってあり、部屋の色見も併せて一種異様な空間を形作っている。

狭い部屋の三分の一ほどを占めるベッドの上で男の寝息は白く煙っている。粗末な部屋の壁はコンクリートブロックを積み上げてモルタルで仕上げただけの安普請で真冬の朝に凍り付いていて、故にろくな暖房も持たない宿主の寝息すら白く染め上げるのだ。はめ込み式のクーラーをねじ込んである窓からは朝の光が差し込み、裏山からは鳥のさえずりが聞こえてくる。男はうっすらと覚醒しながら自分の息の白さとエメラルドグリーンの天井を見つめながら、また生きて朝を迎えてしまったのだなとぼんやり考えてもう一度目を閉じた。

肩口に沁みこんでくる寒さを振り払うように布団に包まり瞬きの間に深い眠りへと落ち込んでいこうとしたその時、やにわにけたたましく電話のベルが鳴り響く。男は体を少し飛び上がらせて電話に手を伸ばし、二度寝の淵から脳を無理やり引っ張り上げて目を白黒させながら携帯のディスプレイを見た。男の兄貴分からの電話だった。

「もしもし、どしたん」
「寝てたか?」
「うん、今起きた」
「そうか、あんな、新太郎が死んだで」

寒さと眠りの余韻に痺れた頭の中に思いがけない言葉が刺さる。
男はただ、目の前の現実を掴むこともできずに得体のしれない感覚の中に溺れ始めた。

世界は動き続けていますね

年始以来の久々の投稿。
あれから三か月ほどの間に自分の環境も大きく変わりました。

まずは食い扶持稼ぎの仕事がガラッと変わる。
元々洗浄の現場では怪我が絶えず、いつまで続くかなぁと思っていたのですがとある事がきっかけでえいやっと洗浄業界から足を洗いました。いろいろ学ぶことができたがしかし向いてなかったなぁ。なにしろ身長186cm体重103kgで狭い足場の中を動き回るのが無理。お世話になった洗浄野郎どもに感謝感謝。

そして新たな出会いあり。
さて次どうすんべと仕事を探しておりますと、今までとは逆の内装洗浄の案件が目に留まりました。外は見てきたから今度は中を見てみたいという興味本位でとにかく話を聞きに行く事に。んで、ポンと飛び込んだ先の社長が曰く「外装の洗浄と内装の清掃はモノが違うから今までの経験はあんまり役に立たないよ」とバッサリ。こりゃあダメだなと思って話を聞いていましたが、自分の経歴やらなんやら話し、社長の過去の生業履歴を聞いていくうちに意気投合。結果として社長の現業をお手伝いしつつ、人を紹介するからあなたの本業を充実させなさいという事に。つまり、今を自分の力で凌ぎつつチャンスを待てと社長はいう。まさに願ったり叶ったり。瓢箪から駒とはまさにこの事である。

とはいえ世の中そんなに甘くはない。社長の好意に甘えてはいられないしタダより高い物は無い。自分でも新規や掘り起こしを進めつつ新しい案件を拾う。そしてあれこれ金策してなんとか凌ぎつつ、この春を迎えた。

そんな中この10年ほどの間、自分の中で育ててきた企画である絵本を作るというライフワークがいまあと一歩のとこまで進んできた。正直、ここまで来るのに本当に苦労した。何度も何度も挫け、自分の力なさに打ちのめされてきた。
しかし、いまそれが一つの形となって目の前に現れようとしている。ここでも
やはり人なのだ。長男が通っている工作教室のオーナーが自分の企画に興味を
持ち、企画に協力してくれそうな人材を紹介してくれた。奇跡的に自分の意図が真っすぐに通じる人と出会い、この十年進むことがなかった企画がたった三か月で完成間近まで漕ぎつけたのだ。すべては人だ、人の力だ。有難い事である。

世界はいまかつてない危機に苛まれている。そんな中自分は今最高に恵まれていると感じる。この先に何が待つかは分からないが、動き続けて動かし続ける限り道はそこにあるのだろう。そしてまた一つ、自分の中で20年近く燻っていた企画を動かそうと思う。これは自分一人の戦いになるが、いずれはまた人が集まってくるだろう。自分は人が好きなんだ。それがよく分かる春の日である。

新年明けまして2022

路傍の立て札にひっそりと新年明けましておめでとうございます。

誰も顧みる事のないこのブログに新年の記事を投稿することで、
心の奥底に眠る闘志に火をつけていこう思う所存でございます。
皆さま(誰だよ)いかがお過ごしでしょうか?

この年末はオミクロン株もなんのその、約二年ぶりに家族総出で大阪の実家に
帰省して参りました。このご時世どうかという懸念もありつつ、昨年は大病を患い生還した母や大怪我を乗り越えた弟、相変わらず糖尿病でボロボロの父に孫や甥っ子姪っ子の顔を見せておかねばと思い、我が愛車ハスラーをかっ飛ばしてえいやっと。

ハスラーで家族四人とかキツくね?とお思いの諸氏(いやだから誰もいないって)のご心配に及ばず、身長186cm体重103kgの私と妻と子二人が乗ってもわりかし快適に走るんですよこれが。荷物もそこそこ乗るし問題なし。いざとなればルーフに積む事もできます。そんなこんなで7時間ほどで大阪まで走破しました。今回は隣で妻があーでもねぇこーでもねぇと何か言ってるのに対して
「おん、おん」と生返事している間に着いたので楽でした。

そして大阪では大晦日のUSJに殴り込み、子供らはその前日にヒラパーに行くというまさかの連日遊園地三昧をかますという快挙を成し遂げご満悦。当然今回の目的は任天堂ワールドでしたが、まあリアルコインがバンバン流出する恐ろしいワールドでした。アトラクションは正直スパイダーマンとハリーポッターの方がぶち抜きで面白かったのですが、お子様が乗る分にはかなりテンション上がるんじゃないかと思われる設計でした。シングルライダー推奨です。

あとは親兄弟が入院中の世話に奔走した自分を労うべく大層もてなしてくれたので胃腸が疲れ果てるほどの寿司、肉、酒!!で過ごす正月。帰りはボチボチ運転で若干の渋滞に巻き込まれつつも10時間ほどで東京に帰還いたしました。次はまた二年後とかかなぁ。

5日から食い扶持稼ぎの洗浄現場が動き出したので仕事始め。クッソ寒い中で大規模マンションの外構インターロッキングをポリッシャーと高圧洗浄機で洗い倒す。かっぱぎかっぱぎ2022年もお掃除をしておまんまを頂く仕事開始。尊いではありませんか。とはいえ正直体がついていかないなぁ。食い扶持は安定してきたので新たな営業先を当たっていかねばなるまい。

とかなんとか言いつつ今年やるべきことはすでに定まっている。あとはそれをコツコツと続けていくだけ。初夢はかなりグイグイ来るレベルで示唆に富んでいた。吉となるか凶となるか、それを決めるのは自分次第だろう。

皆さま本年もよろしくお願い申し上げます。

うっかりもう師走ですね

前回投稿からうっかり9か月も経ってしまった。

その間、食い扶持を稼ぐために洗浄屋に潜り込んで悪戦苦闘していました。
全くの異業種ではあるが、一から自分を見つめ直し鍛え直す意味合いも込めて何とかビルメンテナンスの会社にバイトとして入る。

アップライジングが死んだわけではないので週3程度入っている。しかし、それではなかなか仕事も覚えないし体ができてこない。そんなこんな言ってると実家の母と弟が相次いでガンと事故で入院。大阪と東京行ったり来たり右往左往。それがひと段落した頃に独立当初からお世話になっていたお客さんがコロナでお亡くなりになった。最近は大学の後輩も自宅で突然死したり、親戚の叔父さんがガンで亡くなったり、とにかく今年は人の生き死にが行き交った年だった。

年末になりようやく仕事にも慣れ、バイトから外注業者へと契約形態も更新し来年への足掛かりを確かなものへとすることができた。とはいえそろそろアップライジングの補強も考えていかねばならない。今のままでは立ち行かぬ。

めぼしい営業先をリストアップし一つ一つ潰していく地道な作業だな。とはいえもともと飲食店が客層のメインだったのでそれでは今後の展望は望めない、さてどうしたものか。そうこう言っているなかで恐らくアップライジングの大本命プロジェクトが動き出すだろう。自分が独立した真の目的、その計画がついにスタート地点に立とうとしている。とはいえ、今までもそこまで漕ぎつけしかしその度に頓挫してきた。今回もそうならない保証はどこにもない。そうなれば今度こそ今ある手を使って前に進むのみ。来年は新たな勝負の年になる。

地味に体もボロボロになりつつ、新しい事も始まりつつ、しかしピンチは変わらずピンチである。気張って参りましょう。

気がつけばもう春だった

春である。

春は別れの季節。

年明けからこちらバタバタっと今まで繋がってきた人たちとの別れが訪れた。
自分に問題があったり相手の都合がこちらの都合と合わなくなったり、
こんなご時世だからこそ真っ当な道に襟を正していかねばならない、
そんな中での判断と流れの上で離れる人とはここで一旦お別れを。

縁が消えてなくなった分けではない、
必要であればまた別の出会い方ができる。
それとは別に変らず新しい道を拓く人たちもいる。
良くも悪くもいま篩にかけられてれいるんだなと感じている。
ここから先一緒にやっていける人、別れる人。
今一度自分自身を見つめ直し立て直さねばならぬ。

そんな中、通り過ぎる人も疎らな自分の過疎fbに似たようなポストが。

シン・エヴァンゲリオン劇場版である。

コロナ禍にあって上映が延期されていたと聴いていたが、
どうやらついに上映されたようだ。
同世代の連中がみなこぞって映画の半券写真をアップしている。
ネタバレこそしない紳士然としたポストだがしかし、
どうやら「終わり」をそこに滲ませている。

初めてエヴァを見たのは19だったか、惰性で見ていた夕方のアニメ枠、
志望の大学に落ちてプラプラと浪人暮らしをしていたころだった。
wikiで見てみると前番組はミュータントタートルズとあるが勇者系じゃなかったかと思ったがまあそれは置いておいて。それが終わり次週から始まる新作予告として流れた短い映像。なんだか細い紫の「何か」が出てくるアニメ。はいはい、よくあるやつな。という事で追いかける事もなくそこで興味を失った。当時19歳だった自分は若干アニメから離れつつあり、「子供から大人」へと変貌しつつある時期だった。

そしてしばらく時は経ち、晩飯食いながらいつものごとくテレビをつけると例のヘンテコなロボ?みたいな奴が出てくるアニメがやっている。なんかこの絵柄見覚えあるなぁと思いながらモグモグやりつつ見ていると、どうやらあれは人型ロボットであり今から火山に潜るのだという。マグマダイバーというタイトルが異常にかっこよく思えて「そうか!これは日本中の火山に潜む怪獣をロボットが倒すアニメなんだな!!」と勝手に思い込み俄然興味が湧いてきた。

そしてそこから毎週観る事にしたんだが全然ロボットが火山に潜らない。いつになったら富士山に潜るんだ?もちろん富士山にはラスボスっぽい奴がいるんだろ!?フォッサマグナがなんか鍵になってくるんだろ?!!とかいろいろ妄想していたのに毎週毎週なんだか暗い童貞丸出しの主人公がエッチなお姉さんや性格と口が悪いヒロインやヤンデレ包帯少女に絡みつつ父親に存外な扱いを受ける様を見せられ続ける。もう観るのやめようかとも思ったが、いやいや待て待ていつかきっと火山に潜ってなんかとんでもないことが起こるに違いない、だって絵には迫力あるしなんだか無暗にワクワクするしお姉さんはサービスサービスだしもうちょっと頑張ろう。そうひた向きにロボットが火山に潜る日を待ちつつ毎週毎週欠かさず観ていた。

そんなある日、いつものように晩飯食いながらワクテカしつつエヴァが始まるのを待ちわび、そろそろ歌えるくらいには覚えたOPが過ぎてついにその時が訪れた。

「え・・・喰ってる・・・ロボットが・・・怪獣喰ってる・・・!?」

ここに居たり初めて俺は気がついた。

「このアニメ、ロボットが火山に潜るアニメじゃなかったんや!!」

晩飯を食いながら箸を持つ手が震えていた事を今でもはっきりと覚えている。
もう火山には潜らないという喪失感と、
今まで自分は何をしてたんだという驚愕が一挙に襲い掛かってきた。

あれから26年経って、
シンジはようやく大人になった。

いろんな別れや喪失を越えて、
まるで就活サイトのCMみたいに駆け出して行った。

ありがとうエヴァンゲリオン。

ありがとうマグマダイバー。

全ての別れと出会いに感謝を込めて。

師走に始まるエトセトラ

気が付けば師走、年末ですね。

今年は放置していたこのブログを書く時間嫌が応にも発生したのでそこそこまとまってコンテンツが増えた。これはある意味収穫であった。そんなこんな言いながらなんとかかんとか生き残ってきたわけだが、まああれですね、借金ばっか増えて来年どうすっかなぁって感じですね。

とはいえ明るい話題もあるにはある。
今年成し遂げた事といえば、

・心理カウンセラーの資格を取る(国家資格ではないのでハリボテだが)
・Tシャツの露光機を自作してTシャツ造りに新境地を切り拓く
・新しいカメラを買って動画づくりに新戦力投入(オズモポケット2!!)
・工事案件に超強力な協力企業様と縁できたので来年が熱い!?

などなどありつつさらに一番期待値が高いのが、

「地味に再就職への道が現れた!」

である。

来年に向かっての生存戦略として何としても何らかのルーティンを作らねならない。
しかし、取引先はみるみるうちにバタバタと倒れていく。比較的体力のあったところでさえとりあえず一旦退却するという状態に陥っていく。既存客に期待して口開けて待っていてもこれは何ともならん。バイトでもなんでもいいからとにかくどっかに食いついていかないと普通に飢え死にする。冗談ではなくてリアルに飢え死にと宿無しになる。今そこにある危機である。

という事で40を越えての就職活動を開始である。とはいえ自営でやって来たあれこれのご縁も完全になくなったわけではない。それを細々でも繋いでいきたいという身勝手な願いもある。その辺りを汲んでくれる奇特な会社は無いかいなと思っていたら、あったんですねこれが。しかも家(事務所)から歩いて3分のところに・・・。

探し始めて三日で面接が決まり、二週間ほどで採用が決まった。条件的にはまずは試用期間として週3日程度で入ってみて自分の仕事の都合でシフト組んでOK、たまに出張とかあるしそれはまた相談させてね。なんというか願ったりかなったり過ぎる。仕事内容は当初はイラレのオペレーターとしての採用だったのだが、あれこれあって別の人員が採用されたようである。しかし、社長と話が合った自分は別系統でなにかできないかということでとりあえず採用となった。そして実際蓋を開けてみるとそこは鋳物の型をUVレジンで作る工場であり、社長の手元に入ると割とあっさり基本の工程は飲み込めた。そうなると社長は次々と別の工程も任せてくれるようになり、先々への流れがズンズンとできあっていった。何かが始まる時ってこういうものだ。

年内はとりあえず来年への準備をしつつ、また方向性を固めつつ。師走を生き抜くために今をジリジリとしながら前に進もう。ちょいと早いが皆様良いお年を。

現場放浪記(終)春に逢いましょう

それは突然やって来た。

いや、来ることは分かってはいたが、ついにやって来たというべきか。
ある日を境に案件数が目に見えて減り始め、気が付けばサイトは停止状態となってしまった。新型コロナの猛威が顕在化したのだ。

3月まではまだ順調な受注をこなしていたが、すでに現場では先々への不安が
傭兵たちの肩に積もり始めていた。A契約のランカー達は本営からの情報で現状を把握しているらしく、傭兵ネットワーク上には様々な噂話が流れていた。

「4月からは相当厳しいらしい」

いずれにせよ年度末を越えたところが見極めとなる事は皆感じていた。
そしてそれはあっさりと現実のものとなる。まさに潮が引いたように案件が消え去り、我々掛け持ちのC契約にはほとんど案件が流れてこなくなってしまった。
実際に何が起こっていたかといえば、新型コロナ対策のために密状態が発生するイベント事業が軒並み中止となり、そこが抱えていた人材が行き場を失った。その余剰人員が健装案件の現場へと流れ込み、また少しでも条件が良い現場を求めて他の傭兵管理会社からこちらへコンバートしてくる者たちが現れ始めた。

このような状況は初めてではない、2009年のリーマンショックの時を思い出す。
派遣業に主軸を置いている人員の雇用がまずは確保され、それ以外には僅かなおこぼれしか回ってはこない。そして今回はまさに先の見えない、原因さえ分からない状況だ。リーマンショックの時でさえ何とか社会が回りはじめるのに一年ほどかかった。今回はどれほどの期間が必要になるのか見当もつかない。

俺はあの頃を思い出し、しかし昔とは違う自分の力を試す時という気概が生まれ、不思議とネガティブな気持ちは湧いてこなかった。とはいえ仕事は無いのである。3月まではマスクが無いね困ったねと言っていた呑気さが、4月には全く別物の恐怖となって目の前を覆っている。にわかに現実とは思われないほどの変わりゆく日常と次々更新される見えざる「違和感」と向き合う。

様々な公共の補助や住宅ローンなどの一時停止、生き抜くために打てる手をその場凌ぎと分かりつつも打っていき、未来への借りを造りながら今を食いつぶしていく。まさにタコが自分の足を食いながら腹を満たすがごとく、いつしか痛みはマヒしていき、ただ流れる情報を捌きながら半年後、一年後を占う。

オリンピックの中止が決まった頃、都内某所の造船所跡に現場を得た。久しぶりだった。要件はオリンピック開催時に警備任務にあたる警察官達の詰め所のベット設営。日本全国から派遣されてくる警察官達の寝床だ。しかし、オリンピックは中止になってしまったので、そこをそのままコロナ患者を収容する仮説の隔離所にするのだという。無数に並ぶプレハブの間を解体したベッドを運ぶ。20名を越える招集がかかった大型現場だ。みな久しぶりの現場に勢い込んでおり、またオリンピック関連の案件を取っていたA契約の傭兵たちの間であれこれ情報交換が行われていた。

俺はリーマンショック前に会社を経営していたという親父とバディになってベッドを組み立てつつ、あれこれと四方山話に花を咲かせた。親父は俺より10歳ほど年上で人も抱えてやって来た経験がある分、今の状況にも幾分余裕があるように見えた。

「こんな事になるなんて本当に世の中分からないねぇ」
「ほんとですよ、リーマンの時より酷くなるんじゃないですかねぇ」
「そうだね、出口が見えないよ」
「そういえば話は変わるけど、今日一緒のホンダさんて知ってますか?」
「ああ、あのボランティアで傭兵やってるとか言ってる」
「そう、あれ何のことだか知ってます?」
「いや詳しくは知らないけど」
「なんでもね、あの人は大学の非常勤講師なんだそうです、それであの人遣ってる講座の学生が車で事故を起こしたんだそうで」
「ほう、そりゃ大変だね」
「それでその学生は母子家庭でもう学校も辞めないといけなくなってしまったそうなんですよ」
「ますます逃げ場無しだね」
「でね、彼の同級生とホンダさんが可哀そうだからとお金を彼にあげてるんだそうです」
「ええ!じゃあ今日の日当も・・・」
「そういう事らしいです、別にホンダさんは資産家でもなんでもないそうなんですが、そのやり方もどうかというところはありますが、なんとも奇特な御仁ですよね」

ホンダは見るからに人が好さそうで、誰に対しても丁寧に接し、仕事に対しては誠実に前向きにまじめに取り組む傭兵だった。その立ち居振る舞いは逆に我々の中では異質に思われたが、その現場に出る理由もまた他とは大きく違っていた。

「でもあれだね、こんなご時世にそんな人もいるもんだね」
「ほんとですね、なんだかこっちが恥ずかしくなってくるような」
「いや、人はそれぞれだからね、恥じる事はないけど力はもらえる」
「不思議とそうなんですよ、でもあんな人がこんな現場にいるってのがまた世の中ですねぇ」
「ままならないもんさ、誰もそうなろうなんて思ってもいない人生だよ」

俺たちは作業を終えてプレハブ小屋から解放された、初夏の海風が吹き抜けていく。俺は現場上がりの心地よい疲労感を味わいながら、朽ち果てた造船ドックの海へと続く錆びたレールの上に立って、東京湾の空に吸い込まれていくウミネコの声に耳を傾けていた。

新しいお仕事はじめました

コロナイヤーでスタートアップ第二弾。
TシャツDIYに続くアップライジング新機軸。
心理カウンセラーの資格取りました!!
とはいえ国家資格ではないのであんまり役には立ちませんが(汗

3年ほど前からボーイスカウトの一員としてカブ隊デンリーダーをやらせてもらっているのですが、小学校3~5年生のスカウトたちと混じって山行ったり川行ったりサイクリングしたり工作したり料理したり、そんな中で子供たちの心の在りようや成長について思い悩むことが多々ありました。

今までの自分の子育てや人生の経験に照らしてあれこれ考えて時々に対応してきましたが、そういったものにもっと明確な裏付けが欲しいと常日頃考え来ました。なのでこのコロナ禍の最中にあって有り余る時間を使って勉強してみるかと一念発起。約半年かけて資格を取ることができました。

今後は学びを深めつつ自分の周りにいる人たちの支えとなるように、共々の成長を願い目指して精進していく所存です。ついでになにか仕事にならないかも模索してみよう。まったく新しい試み、これはまた楽しみな事だ。