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7日間ブックカバーチャレンジ④

Day 4 宮崎駿の雑想ノート
四日目にしてようやくそれらしい本のご紹介。これは80年代半ばから90年代前半にかけ模型誌で連載されていた宮崎駿のイラストエッセイ集です。

宮崎駿といえば筋金入りの反戦思想の持ち主でありながら、しかし作中においては戦闘機や戦車がドンパチやるシーンを描かせたら右に出るものがいない稀代の天才。その天才の中で相反する2つの価値観がぶつかり合った結果、已むに已まれず漏れ出てきた妄想雑想の吹き溜まりがこの一冊となります。

実際の戦記や歴史や戦闘艦等を題材にしていたり、そうかと思うと100%妄想で構成された回があったり、そこかしこに煮締められた宮崎イズムがこれでもかと詰め込まれております。ジブリの本編映画ではとんと見ることができなくなってしまった冒険活劇がどっさりと掲載されており、これ映画になったらどうなるんだろうなぁと妄想が捗ります。実際「2億くれたら90分の映画作ってやるよ」とか書いてあってニヤニヤ。

出てくるキャラクターもおなじみの豚、犬、髭の爺さんなどがワサワサ登場し、宮崎作品といえば食についてもぬかりなく、にんにくの芽の炒め物やおにぎりやらめざしやら、戦場なので粗末なんですが妙に美味そうな食事があちこちに出てきます。

そして後半に収録されている飛行艇時代は紅の豚の原作ともいえるものであり、ファン垂涎の一編となっております。

何より巻末のインタビューでは捻じれまくった宮崎御大のミリタリー愛が炸裂しており、本編よりこっちの方が興味深いまである。天才宮崎駿の恥部ともいえるこの一冊。決して万人受けする内容ではありませんが、ご興味ある方は三鷹の森に遊びに行ったついでに買うのをお勧めします。より一層楽しめること請け合いです。

7日間ブックカバーチャレンジ③

Day 3 空挺ドラゴンズ

三冊目でございます。またしても謎なタイトル。最初は野球漫画か?と思ったがんなこたーない。こちらは最近アニメ化もされたのですが、19世紀辺りの文明技術水準を持った世界を背景に、大空を飛び回る謎の生命体である龍を捕獲することを生業とした捕龍船を舞台に物語は紡がれていきます。

龍の立ち位置はいわばクジラのようなもので、龍からは良質の油、肉、骨、皮などの素材がはぎ取れ、捕龍船はそれらを各地で売り捌き生計を立てる人々の集まり。かつての捕鯨船とはこういう存在だったのだろうなと思わせる。しかし、龍は各地に災害をもたらす存在でもあり、捕龍船が寄るということは龍も近い、土地によっては逆説的に捕龍船は龍を呼ぶとして忌み嫌われていたりもする。

主人公のミカはとりわけ龍を食べることに執着を持っており、作中では龍を捕るたびに実に旨そうな料理に仕立て上げます。空を飛び回る捕龍船はいわゆる所の飛行船であり、かなり大型のも船もあれば大規模な企業が存在したりもする。また地上には様々な民族が生活しており、龍との間に古くから続く習俗が存在していたりもする。

なんかこういう世界観って既視感あるなぁ、つうかこの絵柄のタッチってなんかあれでなにでって考えていくと、これって宮崎駿のナウシカ原作版と似ているなぁと。パクったとかどうとかというよりオマージュだなぁと。飯が旨そうなところも宮崎御大の影響が大きい。そのあたりは作者本人も言及しているようです。

大空駆ける龍と冒険と飯。汗と油と船乗りのブルーズ。最近ワンダーが足りないとお思いならば是非ご一読おすすめします。

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チャレンジ概要読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、
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7日間ブックカバーチャレンジ②

Day 2ダンジョン飯

二日目はこれ。
タイトルからしてなんじゃこりゃというお方も多いかと思う。かくいう自分も最初にこのタイトルを見たとき思った。しかしすぐにその意味を察した。

ファンタジーを題材とした各種の小説やゲームなど、そういった世界観の中に「ダンジョン」と呼ばれる地下迷宮が出てくる。そこには屈強なモンスターもいるがお宝も眠っている。またダンジョンマスターと呼ばれる存在がおり、彼らがその財宝や重要な魔法を所持または守護していたりする。我々古いタイプのゲーマーやウィザードリィやウルティマなどに慣れ親しんだ層には「ああ、そういうことな」となる作品となっている。

ダンジョン飯、つまりは迷宮の探索者がその奥深くで食べる飯。食材はお察しの通りモンスターである。モンスターと一言でいっても色々な種族種類があり、動物、植物、無機物、魔法生命体(ロボットのようなもの)など様々あり。もちろん水生生物や鳥類、卵生、胎生などの繁殖方法を持つものや、植物と動物の両方の特徴を持つものなどもいる。それらは長い時間をかけて作家やユーザーが想像し育んできた世界であり物語だ。

しかし、そういったモンスター食だけでどこまで引っ張れるの?あっさり3巻ぐらいで終わる話なのかな。そう思っていた時が自分にもありました。さにあらず、この物語は基本的に三層構造になっている。一つは主人公ライオス達のダンジョンに潜る理由があり、二つにはそれを達成するためのモンスター食、三つにはダンジョンという存在を通した「世界」との関わりである。ダンジョン飯というタイトルはこのモンスター食を指すのだが、他二つの柱が非常によくできていてグイグイと世界観に引っ張り込まれる。古今東西の名作ファンタジー作品の要素を下地に、各種モンスターやファンタジー作品中の「お約束」を改めて考察再構築する事で新たな発見がある。

そして食事をする、つまりは食料の管理をするという「兵站」の概念を持ち込むことで作品中にリアリティを付与することに成功しているのだ。6人程度のパーティが1週間以上迷宮に潜りっぱなしになるとして、そのために必要な物資はどの程度になるのか。水、食料、薬品、日用品などを担いでモンスターと戦いつつ、キャンプを張って食事をとる必要がある。主人公のパーティにはその物資を調達する資金的な余裕がない、無いならどうしよう、そうだ現地調達しよう。そしてモンスターを調理して食らうのだ。

作者は女性であり同人作家でもあるという点も見どころ。作者独特のオタクな目線と女性ならではの作風とユーモア、テンポの良さとギャグのセンスが癖になる。作品自体の構成のすばらしさもこの漫画の魅力の一つです。
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7日間ブックカバーチャレンジ①

Day 1ドロヘドロ

イタリアに暮らしている我が師匠ミックのところからもぎ取ってきたブックカバーチャレンジ。改めて自分の本棚を眺めてみるいい機会になった。

まずは一冊目としてドロヘドロ。これはもう20年以上前の漫画になるが二年ほど前にようやく完結、そして最近アニメ化した。その作風はなんというか暴力暴力アンド暴力。とにかく殺伐としてデカダンなイキフンムンムンなのだが、どこか憎めなかったり誤魔化しのないストレートな性格のキャラクターがいい感じに力を抜いてくれる。

あの頃は新世紀への期待と不安が入り交じり、今とはまた違った不安と焦燥が世の中を覆っていたように思う。昭和バブルの崩壊から発生した就職氷河期が猛威を振るい、やがてやって来る虚ろなITバブルが新時代を切り開いていく時代。そんなロクでもない時代の空気を反映している作品といえる。作品自体の着想には当時世に出ていたヘヴィメタルやデスメタルなどのハードコアなバンド達がその原点にあるという。これもまたあの時代を思わせる要素だ。

また最近放送されたアニメは主題歌やエンディング曲には珠玉の名作がオンパレードであり、アニメ作品ごとに作風を変えるという(K)NoW_NAMEがハマりまくっていてこちらも非常におすすめ。

そんなドロヘドロの作中で巨乳魔法使いのニカイドウが作る大葉餃子じつに美味そうであり、こないだ思わず自分でも作ってしまった。20世紀から21世紀への節目で読んでいたこの漫画を今という時にアニメで見て、その作中に出てくる大葉餃子を作って食べる。あの頃、仲間達と寄り集まって騒いでいたのを思い出させる。そんな一冊。

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40代のゲーマー事情

Lot.no 009 YOR1

今日の一枚はバトオペ2クラン夜明けのおっさん旅団Tシャツです。

おっさんになってもいまだゲームをやっているといろいろとあります。
まず嫁さんに嫌がられる。テレビを占領してしまうのでリビングでゲームなんて
早々できません。子供にも悪影響だとブツブツ文句言われることもしばしば、
それどころか「こんなものは無駄だよね」とバッサリ斬って捨てられたりもしますねぇ、ええ、あります。

それでもめげずに、飽きもせず毎日やっておりますが、今と昔ではゲームもずいぶん変わりました。我々はファミコンショックをリアルタイムで経験した世代です。当時、ファミコンはどこに行っても売り切れで手に入らなかった。子供心に親に言っても仕方が無いレベルと諦めていました。しかしある日の日曜日親父が言いました。

「ファミコン欲しいか?」

そら欲しいに決まってます、一も二もなく頷きました。そして親父の車に乗って出かけます。もうワクワクが止まりませんがどうやら近所のおもちゃ屋に行く様子がなく家からどんどん遠くに向かって車は走っていきます。やがて着いたのはどこかの町の工場のような場所。なんというか殺伐とした幹線道路からちょっと奥まった場所にある工場地帯の一角。子供心になんかヤバいなと感じ取っていました。車を降りるとそこには自分たちと同じような父親に連れられた子供達が列をなし、薄暗い倉庫の入り口に吸い込まれていきます。

30分ほどしてやっと親父と自分も倉庫の中に入ることができました。倉庫の中は真っ暗で、奥の天井に一つだけ水銀灯が点いています。その下にはでっぷりと肥えたおっさんがおり、おっさんの後ろにはファミコンが積み上げられていました。そしておっさんの目の前のテーブルには様々なファミコンソフトが並べてあり、自分たちがおっさんの前までくるとおっさんは言いました。

「この中から二つ選んでや」

忘れもしません。あのおっさんの凍てつくような視線と水銀灯の光の中に舞う塵芥を。自分はマクロスとエグゼドエグゼスを選び、親父の手をしっかりと握って逃げるように車へと戻りました。

そして現在。あの頃から今に至るまで様々なゲーム機が生みだれては消えていき、技術は進みテレビはブラウン管から薄型液晶テレビになり、ゲームはインターネットと結びつきソロプレイからマルチプレイが当たり前の世界となりました。そんな中、40代になった自分はバトオペ2においてクラン(仲間同士集まってつくるチームみたいなもん)を立ち上げました。他の活発に活動するクランとは違いクラン報酬が欲しいだけの放置クランなのですが、「引っ込まない腹、痛み出す膝が俺たちが生きてきた証」というキャッチコピーに同調したおっさん達が地味に登録してくれたようで今では20数名を超えるクランとなりました。そこでせっかくなのでクランマッチという団体戦に出てみようぜ!と声をかけたのですが、いかんせん40代ガノタ達は腰が重く、ましてや今更おっさん達がVC(ヴォイスチャット)で「あ、どもはじめまして」「いやどうもよろしくお願いします」なんてこっぱずかしくてできませんよね。我がクラン唯一の陸宙A帯の方のみお返事いただきました。寂しい限りでございます。

そんな現実と向き合いながら今日もおっさんゲーマーはコントローラーを握るのでした。

現場放浪記⑥ 穏やかな日

新木場での案件依頼が出ていない時は新たな現場の開拓。以前から気になっていた情報があったのでそれにトライしてみる。内容は「基盤取付補助 動作確認 片付けなど」とある事から何かしらの機械メンテナンスだと分かる。重い荷物等を運ぶ案件ではなく、どちらかというと繊細で地味な作業をするのだろうと予測はできるが、蓋を開けてみるまではわからない。

予定の日時に現場に向かう、そこは都内某所の大学図書館の地下書庫。ようは書庫の電動棚のメンテナンスだ、無口な感じの元請社員に率いられて自分含め3人の傭兵が地下書庫へと降りていく。厳重なセキュリティが施されたスチールドアを潜り、天井までびっしりとうず高く積み上げられた本が納められた書棚が整然と立ち並ぶ書庫へと足を踏み入れる。そこはまるで浮世を離れた世界。棚の側板のラベルには棚に収められた本のカテゴリーが記入されており視界がミニマルな情報に埋もれていく。空調の音が耳を塞ぐような感覚を覚えながら黙々と作業をこなす。作業内容は予測を超える非常にイージーなものであり、拍子抜けもいいところだったが体への負担が少なくそれだけで十分価値的だった。しかし唯一、重量的に数百キロありそうな棚がレール上を斜行しているのを調整するときは書棚と押し相撲になりこれがなかなかキツい。

午前中の作業を卒なくこなし昼を大学の食堂で済ます。スギモトとサワダが今日の同僚でありどちらも初対面だが、二人とも人柄がよく控えめで話がしやすい。仕事も丁寧にこなし客対応にも問題なく優秀な人材だ。派遣仕事でたびたびあることだが、なぜこんな人材が派遣仕事なぞしているのだろうと思うことが度々ある。われわれ就職氷河期世代の中には止むに已まれず派遣に留まり生きている者も少なくは無い、強固な新卒神話を守り続ける日本社会において我々は予め失われた世代と言って差し支えはないだろう。むしろ20年近く昔、2000年代初頭あの時代の雰囲気としてはフリーターは新しい生活スタイルであり派遣社員は人材の流動性をもって新時代を築いていくのだくらいのお題目が吹聴されていた。しかし実際の世の中はバブル崩壊の余波が顕在化しまともな就職先もなく、新卒者は希望の職に就くこともできず皆その錦の御旗を手放しそれぞれの道をいった。

ある者は既存のシステムにしがみつき、ある者は勃興し始めたIT関連の技術を独学で身に付け、ある者は気楽なその日暮しで糊口をぬぐった。その成れの果てがいまの派遣現場のボリューム層を占める40代の傭兵たちだ。みな基本的なスキルは高いが社会には何の期待もしていない、大都市圏であれば仕事が尽きることはまず無いので生きていけるし親と同居している独身者も少なくない。自分のように妻帯し子供もいる傭兵も当然いるがそういう輩は大抵何かしら手に職を持っている技能傭兵ともいえる層だ。派遣一本で食っている傭兵の中にはそれこそ浮世離れした流れ者も大勢いる。それらの傭兵たちはみな一様にその目の奥に沈む何かを宿している。それは怒りなのだろうか、諦めなのだろうか、それともいつかと望む希望だろうか。

スギモトとサワダはそういった渇いた目をした傭兵ではなく、極穏やかに過ごしている豊かさを感じさせた。なんだかんだといってこれが東京という街のなせる業なのだろうと感じる。流れ者の傭兵が己の身一つをいかようにもできる可能性がある。若さがあればそこを足がかりにどんな事でもできる気がしてくる。人口というボーナスが垂れ流す恩寵だ。二人はそんな東京の力を上手く取り込み生きている、煩わしい社会と適切に距離を置きその代わりある程度のステイタスを手放して今を生きている。

俺たち三人は大学図書館の清潔で近代的なエントランスに置いてあるソファで茶を飲みながら現場に関する情報交換をした。普段は殺伐として埃だらけで薄暗い建設途中の工事現場に座り込んで休憩したりするのだが、たまにはこういうのも悪くは無い。スギモトは自分の仕事を抱えつつ夜勤もこなしているという、何か理由があるのだろうが詳しくは語ろうとしないのでそこは深追いはしない。サワダは細く引き締まった体をしており、上着がアンダーアーマーだったのでボディビルでもやっているのかと尋ねるとそのとおりだという。最近は山奥の崖などを測量する現場が楽しいのだという、山登りと仕事が両立してありがたいと。今日の現場も肉体的には付加が少なく貴重な書籍を目にすることができるから気分転換にもなるといって白い歯を見せて笑った。

「ところでタケウチさんはどんな現場いってます?」
「最近は新木場の倉庫いってますね」
「ああ、ひょっとして」

二人とも例の倉庫の事を知っていた。どうやら界隈ではちょっと有名なようだ。こういう場合それは悪名の場合が多いと相場は決まっている。

「あの現場はあれですね、好き嫌い分かれるよね」
「ああ、あの人が癌でしょ」
「そうなんだよね、現場としてはそれほどではないけどねぇ」

二人は同意見を述べて当たり障りない所見を言い合っている。予想通りあの横柄な社員が原因で人が定着しないようだ。あの程度はまだましなほうだ、しかし自由で緩い空気を重んじる傭兵たちにとってあの負荷は我慢ならんのだろう。作業負荷も時によっては変動するようだし、外縁からの観測によりあの現場の状況はこれでほぼ把握できたと言ってよい。その後は二人からあちこちの現場の情報を得ることができ次への指針が定まった。静かな書庫に篭り情報を整理しつつ現場は続いていく。

40の手習い

フォロ楽しいですよ、ロボットもっと欲しい。

人間何歳になっても興味の対象を得るというのは嬉しいもので、
去年子供の誕生日に買ったロボットがありまして、
それがなかなかに面白く。

このフォロというセンサーロボットのキットはお値段4000円を切るコスパのよさでありながら、なかなかの仕事をしてくれるお得なキットとなっております。
組み立てはほぼガンプラと変わらないレベルというかそれよりも単純であり、実際モデラーの皆さんは改造して動画アップしてる人も少なくない様子。

なんか新しい仕事せねばなぁと模索していたときにこのフォロに出会い、丁度お客さんから動画撮れないかと相談されていたのでいっちょやってみるかと一念発起。フォロを使っていろいろやってみるかと試行錯誤しながら動画作成を開始。

最初はiphoneのアプリで試しに撮ってみて、なるほどもっとこうしたいああしたいが出てきたのでそれに伴うツールを調べて関連するサイトを漁ってとしている間に二日ほどで製作環境を初期費用1万円以下で整える(月々のサブスク利用ですわ)。我ながら無駄に器用だなぁと思いつつあれこれ思いつくままに作り始める。おかげさまで新たな仕事も発生してさくっと製作費用はペイできた。

新しい事を始めるのは腰を上げるまでが大変だがいざ動き出せばやはり楽しい。
このコロナ騒ぎでなんとなく落ち着かない日々、心が騒がないのでなかなか次に手が付かないが材料はそろっている。ボチボチ作るかなぁ。

分断の時代に

Lot.no 008 アマビエ

夏が近いので一日一Tシャツのアイデア出し週間開始である。おばあちゃんが麦茶を量産し始めるのと同じである。とはいえどうもアイデアが降ってこないので、まずはこの夏のマストなテーマでアマビエチャレンジ。実際日本のコロナ事情が想像よりも落ち着いているのはアマビエ様のおかげではあるまいか。ふとそんな気がしてくる。

妖怪というのは人の噂話や言い伝え、想像や妄想や願望が形なく姿を成した何かだろうと思う。この人魚なのかサハギンなのかよく分からないアマビエ様もそうした人々の心の在りようから生み出された精霊なのではないだろうか。有名な
アマビエ様のお姿が瓦版に描かれたのは弘化三年とあるが、その数年前には天保の大飢饉で大勢の人が飢え死に、世の中は疲弊しきっていたと推察される。そんな中で希望を求めた人々の中から編み出されたアマビエ様がいうことには、自分の姿を写して人々に見せよという(俺たちのwikipediaによればアマビエ様の原点のアマビコなる怪異ははっきりと無病長寿をうたっているとかなんだとか)。

天保年間頃を境に印刷技術や紙の供給などに進歩が見られたのであろうか、瓦版の大量印刷が進んだといわれている。つまり、アマビエ様が世に現れた時代とは世間の情報化が一歩進んだタイミングと言えなくもない。そんな世情を妖怪も反映して、自分の姿を広く人々に伝えよと瓦版でバズらせたわけだ。

アマビエ様はバズ神さまかもしれない。

この点を踏まえて考えてもやはり妖怪と人はとても仲が良いものだと思う。
アマビエ様の脇に置く言葉にもそんな意味を込めた。
ひとつは「疫病退散」もうひとつは「四海兄弟」だ。

四海兄弟とは中国の故事で人が礼を尽くすならば人類はみな兄弟になれるという話。この分断の時代にあってみなでコロナ禍を乗り越え、無謀なグローバル化や血の通わぬ経済同化による連結ではなく、知恵と慈悲を持った人間同士の程よい距離を保った連携こそが求められるのではないだろうか。なんちゃって。

これもある種の妖怪か

Lot.no 007 キルロイ

夏ですね、夏といえば怪談、怪談といえば妖怪。

はっ!妖怪Tシャツ作ろう!!

と今まさに思いついたのですが、
それに近いものは去年作っていたなと。
それがこのキルロイTシャツです。

このキルロイってなんじゃと申しますと、アメリカ軍の内部で昔から描かれている落書きなんですな。なんでも知ってるwikipediaによりますと、

キルロイ参上(キルロイさんじょう、Kilroy was here、キルロイ・ワズ・ヒア)は、アメリカ大衆文化などで見られるのひとつ。の向こうから長い鼻を垂らして覗く姿を伴った落書きとして描かれることが多い。その起源は諸説あるが、少なくとも第二次世界大戦の頃にはアメリカの各所で見られた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この長っ鼻の謎キャラキルロイ。その発生には諸説ありまさに人の中から生み出された妖怪のごとき存在です。自分が中でも一番好きなエピソードはヒトラーやスターリンがキルロイの存在をん認知していたというのがいい。話半分のジョークにしてもなかなかの箔がついている。

なによりキルロイのメッセージである「Kilroy was here」という文句がいい。
なんとはなしに詫び寂びがある。人知れず戦闘艦のミサイルハッチの裏とか歩兵のヘルメットにこれが描かれている想像するとなかなか楽しい。アメリカ軍に随行する不思議な妖怪キルロイ。

Tシャツにすればど根性キルロイになってどたばたの学園コメディを繰り広げてくれること請け合いな感じもするが、今年はいっちょこれを作ってみよう。その他にもなんか妖怪Tシャツ作りたいな。今ならアマビエもいいかもしれん。

現場放浪記⑤ それぞれの流儀

ササモトさんとの一件から週末を挟んで派遣現場から離れて、
その間に自分個人の現場を回したり仕込んだりと忙しく過ごし、
五日ぶりに新木場の現場に再度入った。

現場ではまたタケタニさんの下に入る。向こうはすっかりこちらの事を忘れているようで、初心者に教える段取りをもう一度繰り返す。俺はそれを黙って聞き入れて、前回と同じように作業を繰り返す。たったの五日前に会った人間の顔も忘れる、毎日違った傭兵がやってきては消えていく。ここはそういう現場だ。

「じゃあとりあえず午前中はこの椅子磨いといてください、
 トラック着たら呼びますから」
「わかりました、雑巾の代えはあそこの棚ですよね」
「え?ああ、そうですけど・・・ああ!こないだ来てましたよね」

雑巾と俺の顔が結びついて記憶を呼び覚ましたようだ。
埃っぽく静まり返る倉庫に一人、安っぽいスチールで出来た折りたたみ椅子を磨き籠車に詰めていく。並べ方が決まっており、それ通りに並べることで最大限積み込むことができる。どんな現場にもノウハウというものが存在するもので、それこそ荷物の上げ下ろしひとつ取っても効率的で安全なやり方というものがある。内装などで使われる石膏ボードなどは一枚の大きさが910×1,820mm程度で重さが12kg程あるが荷揚屋と呼ばれる連中はそれを一度に最低4枚持って階段を昇る。普通に考えると50kg近い重さになるわけだがなにせ平べったく大きく枚数がある、それを狭くて入り組んだ建築途中の現場の中を縫うようにして運び込む。時には一袋20kgのセメント袋3袋の事もある。普通に考えればとてもじゃないがやりきれないが、それをゴリラのようなマッチョが運んでいるかといえばそうとも限らない。体は締まっているはいるが細身の者も少なくない、もちろん基礎的な握力や筋力は必要だが最初の三ヶ月を超えて体が出来上がったら、あとは重心をいかに捉えて重量物を扱うかそのコツを掴むことが肝要なのだ。

そして荷揚屋は一日に数現場こなす事が当たり前で、一現場をさっさと終わらせて次の現場に向かいたい者が多い、必然と一回に持つボードの枚数が増える。超上級者になると6枚程度持つのは当たり前、最後に残った枚数が8枚だろうと10枚だろうと行ってしまう猛者もいるが、そこまでいくと安全が保たれないのでお叱りを受ける事もある。荷揚屋はとにかく脳筋で現場の下支えをする集団ではあるが、同時にプロ意識が高く若衆の格好の修行場となっている。

この倉庫にもスチール製の棚が積み上げてあったので、おそらくあれを整理したりトラックに積み込む作業があるはずだ。俺は椅子を磨きながら心密かにその時を思い担ぎ上げるイメージトレーニングをしていた。そしてトラックがバックで倉庫に入ってくる音が聞こえる。

「すみません、トラックきたんで下に」

俺は雑巾をバケツに投げ入れて階下に向かい、昨日のうちに仕込んでいた籠車を次々にトラックに積み込む。積み込むとはいえトラック後部のリフトゲートに乗せて4~5人で作業を行うので負荷は相当低い。作業強度でいえば荷揚屋の3分の1程度だろうか。そしてうず高く積んであるスチール製の棚を積み込む段になり、俺はその棚に手をかけた。

「ちょっと待て、それはまだやらなくていい」

無愛想で乱暴な物言いをするM社の社員だ。この社員が現場を取り仕切っている男であり、ここ三回ほどの現場入りで観察するにこの男は現場にとっての薬でもあるが毒でもあると思われた。この男の振る舞いは受け流せる者とそうでない者を分けるだろう、物の言い方は乱暴だが間違ってはいない、しかしあまりに相手をねじ伏せる正論であるが故に受け取り手によっては憎しみの感情を呼び覚ます。もしベトナムの戦場にいたら部下に後ろから撃たれるタイプといえばお分かりだろう。

「それは持ち方あるから手を出すな、怪我すんぞ」
「わかりました、あっちの籠車持ってきます」
「わかった、やっとけ」

年の頃は自分よりもまだ若いのだろうが、しかしそれが誰であろうと傭兵に対しては変わらない態度だった。一見して何てことないスチール棚にもその現場の流儀が存在する。乱暴な上官の指示は言葉こそ棘がありぶつけられた物だがその内には新人に怪我をさせない配慮が包まれている。この現場の流れがボチボチと見え始めた。